番外

2017年1月20日 (金)

『恵方巻のノボリ』

すみません。今日は直接片手袋に関係ない話なんですが。

片手袋を撮るという事は、片手袋の周辺も記録するという事ですよね?だからこそ気付く些末な事柄もあって。

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例えばこの片手袋写真。後ろにファミマの恵方巻のノボリが映ってますよね?これを撮ったのが、一昨年。

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で、これが今日撮った写真。

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二つのノボリを見比べてみると、ファミマが毎年ノボリを新しくしてる事が分かりますよね?いや、だからどうしたって事はないんですが、自分が撮っているものが後年、思いもよらない重大な記録になる可能性だってゼロではない訳で。

そう考えると、そもそもの“片手袋を撮る”という行為だって、決して疎かには出来ませんよ。いや、疎かにした事は一度もないんですけどね。

皆さんも、その辺、意識して下さいね!それでは今日はここまで。チャオ!

P.S 冒頭にわざわざ“今日は直接片手袋に関係ない話なんですが。”と書きましたが、その事に憤慨する人なんているんですかね…。

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2017年1月17日 (火)

イオセリアーニ監督の新作『皆さま、ごきげんよう』は、片手袋的視線に貫かれた傑作である!

たまに「片手袋を感じる映画」というのがあるんですが、それには二種類あるんですね。

一つは「単純に片手袋が画面に描かれている映画」。『モンスターズインク』や『アナと雪の女王』、『ローズマリーの赤ちゃん』や『フレンチアルプスで起きたこと』なんかがそうです。どこに映っているかは、実際に見て確かめて下さい。

二つ目は「片手袋が映っている訳ではないが、片手袋的な思想を感じる映画」。近年では何といっても『君の名は。』がそうで、当ブログでその理由を解説しました。

で、今日見に行ったオタール・イオセリアーニ監督の『皆さま、ごきげんよう』という映画が、二つ目の意味で片手袋映画の傑作だったのです!忘れないうちにその理由を書いておこうと思います。

『皆さま、ごきげんよう』(2015) オタール・イオセリアーニ監督

フランス革命の時代、どこかの戦場、現代のパリ―時代が違っても、変わることなく繰り返される人間の営み。争いや略奪、犯罪は決してなくなることはない。それでも、溢れるほどの愛や友情、希望がある。寒い冬の後には、必ず花咲く春がやって来る。明けない夜はない。そう、明日は今日よりも良いことが待っている。混沌とする社会の不条理を反骨精神たっぷりのセンスの良いユーモアで、ノンシャランと笑い飛ばす。公式サイトより

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僕はフランスのジャック・タチ監督(1907-1982)の大ファンなんですが、世界中に「タチを感じさせる」と言われる映画監督がいるのです。今までそういう監督・作品を色々とチェックしてきましたが、個人的にはイオセリアーニ監督が一番タチに近いものを感じるんです。撮影スタイルや題材はそれほど似てないんだけど、作品を通して得られる印象や思想からタチの影響を強く感じるのです。

そんなイオセリアーニ監督久々の新作とあらば見ない訳に行きません。公開から一か月経ってしまったのですが、ようやく今日、岩波ホールに行き見る事が出来ました。

決して分かりやすい作品を撮る監督ではないので、終演後場内には「ポカーン」とした空気が蔓延しておりましたが、僕は大変感動いたしました。というのもこの作品、普通に見てしまうと確かに捉えどころがないのですが、片手袋というファクターを通して見てみると、驚くほど分かりやすくなると思うのです。

「この作品が最終的に言いたいのはこういう事だったんですよ!」というタイプの解説を受け付ける作品ではないのですが、作品全体の骨格となっている思想を読み解くために、片手袋を用いて幾つかの設定やシーンを解説してみたいと思います。

①異なる時代に同じような現象が見られたり、同じ俳優が幾つもの異なった役を演じたりしているのは何故か?

作品解説にもある通り、この作品には三つの異なる時代、場面が描かれています。フランス革命の時代、どこかの戦場、現代のパリです。しかも同じ俳優がそれぞれの時代に出てくる様々な登場人物を演じ分けたりしています。フランス革命時にはギロチン処刑で首を切られる側と執行する側が、現代のパリでは親友同士になっていたりする。

時代や場所が異なる人たちを描いているようで、それが最終的にはつながってくる。こういうのって、群像劇の醍醐味ですよね。近年では『クラウド・アトラス』という作品なんかが、時代も場所も超えて繋がってしまう人間関係を描いていて面白かったです。

イオセリアーニ監督の作品はこういう設定が多いのですが、他の監督の群像劇に比べると、その繋がりが緩やかなんですね。異なる時代に同じような人達が存在しているのだが、それぞれが結びつくようで結びつかず、でも劇的でない形ですれ違ったりする。

また、ギロチン処刑で首を切られる側と執行する側は、現代のパリでは親友同士になっているが、やっぱり首が意味を持っていたりする。でもその意味は物語に大きく影響を与えるようなものではなく、もっとささやかな偶然なのです。

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この片手袋を落とした人、それを拾ってあげた人、手袋の指の間にエンピツを挟んだ人。おそらくそれらの現象は異なった時間、異なった人によって行われたのだが、この片手袋一点においてそれぞれの人生は一瞬すれ違ったのです。

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また、片手袋を研究していると、全く違うタイミングで同じような現象に遭遇することが多々あります。その回数が多ければ片手袋分類図に組み込むんですが、例えば「自転車のハンドルにぶら下げられた片手袋」なんて、何か定型化できるような根拠はない。でも全然関係ない人達によって、同じような行動が繰り返されているのは事実なんですね。

イオセリアーニ監督が、異なる時代、異なる場所の人間達を緩やかにすれ違わせたり、意味を読み取れる程ではない位のレベルで同じような行動を取らせたりするのは、とても片手袋的だと思うのです。

②風は誰にでも吹く

劇中、とても印象的な場面があります。色んな場所で突風が吹き、色んな人達の色んなものが飛ばされていきます。

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立場や階級、場所が異なっていても、風だけは誰にでも吹く。

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軍手に毛糸、ファー付きの手袋まで。それぞれの持ち主の職種や経済状況はバラバラであろうとも、片手袋を落とすという一点においては平等です。金持ちも貧乏も、大人も子供も、人種や宗教も関係なく、どんな人間も手袋を落とす。だからこそ片手袋は人間の普遍的な本質に迫っている気がする(と僕が勝手に思い込んでいる)。

『皆さま、ごきげんよう』に吹く風は、まるで片手袋そのものです。

③ペシャンコになった人、ならなかった人

映画の中で最もショッキングでいながら、最も笑いがこぼれてしまう(そう、本作は基本的にコメディなのです!)シーン。それが道端で倒れた老人がローラー車に轢かれてペシャンコになってしまうところです。

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よく『トムとジェリー』なんかで見るアニメ的誇張表現を、実写で再現してしまうんだから驚きました。しかも陰惨なシーンになるどころか、はっきりと本作一番の笑いどころにもなっています。

そしてこのシーン。映画の後半で違う登場人物達によって再現されます(複雑なんですが、演じてるのは同じ俳優なんですけどね)。しかし今度は、よろめいた老人を親友が支えてローラー車には轢かれません。

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例えば、同じように路上に放置されている軍手でも、人や車に踏まれ続けてペシャンコになるものもあれば、原形を留めたまま無事でいるものもある。

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もっと言えば、同じように電柱の傍で落とされたのに、そのまま放置されてるものもあれば、優しい誰かが拾い上げて電柱に引っ掛けてあげるものもある。

これら二つの片手袋がそれぞれ辿る運命は、何に・誰によって決定されるのか?それともそれを決めるのは偶然だけなのだろうか?

・人間は場所や時代を超えて結局同じような行動を取ってしまう。

・生まれ変わりがあったとしても、いつの時代でもくっ付いてしまう関係もあれば、毎回すれ違ったまま終わる関係もある。

・結局それぞれがそれぞれに勝手に生きているけど、風に代表されるような誰にでも等しく訪れる現象もある。

・人の死を決定してしまうような恐ろしい事態も、違う人が経験した時は誰かの助けによってそのまま過ぎていってしまう事もある

『皆さま、ごきげんよう』の、イオセリアーニ作品の、こんなところが非常に片手袋的だと思います。そして何より、「人間って、世の中って、基本的には糞ったれでどうしようもないけど、人が落した手袋を拾い上げるぐらいの良さはあるよね」という世界の認識が似てる気がするんですよ。

何の予備知識もなく触れると難解な印象を持ってしまうかもしれない本作ですが、こんな風に片手袋を通して見てみると、イオセリアーニ監督の厳しくも優しい視線が感じ取れると思いますよ。興味がある人は是非、どうぞ。

『皆さま、ごきげんよう』は神保町・岩波ホールで2月10日、金曜日まで上映しています。

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2017年1月10日 (火)

『七福神巡りと片手袋探しの記2017①~浅草編~』

2014年から毎年、年初には「片手袋探し&七福神巡り」を行うのが恒例となっておりました。勿論個人的にやっていたのですが、今年は東京別視点ツアーさんがそれをイベント化してくれました。初めてガイドとして皆様をお連れする訳ですから全く知らない場所より、過去三回行ってきた「谷中七福神巡り」を選択するのが無難と判断。

一応、例年通り個人的にもやっておきたかったので、年初の七福神巡りは初めての「浅草名所七福神」を選んでみました。

決行日は一月三日。天気は最高に気持ちの良い快晴。まずは一か所目、かっぱ橋道具街にほど近い矢先神社からスタートする為、最寄りのバス停で降りました。

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そしたらもう、いきなり二つの片手袋と出会ってしまいました。この日はとても暖かかったので、正直片手袋の方はそんなに期待していなかったんですけどね。

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一か所目の矢先神社です。こちらは福禄寿をお祀りしています。で、ここで衝撃の事実が発覚。

“浅草名所七福神”は九か所巡らなければならない!

いや、事前に全く調べず、「とりあえず一か所目の神社に地図とかあるだろ」という軽い気持ちで始めたものですから、驚きましたよ。七福神で九か所って…。しかも歩く距離がいつもの谷中より相当長い!体感としては二倍くらいに感じましたよ。

で、「距離が長い=片手袋が滅茶苦茶多い」という事も分かってきまして。

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大阪のおばちゃんの来てる服のようなカラーリング

当初の予想を裏切り、ものすごい勢いで片手袋と出会います。

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あと三が日だったので、さすがに人が多い!各神社、七福神巡りだけでなく普通に初詣の参拝客がいるので、場所によってはお賽銭を諦めざるを得ませんでした。

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二か所目の鷲神社で既に参拝を諦める事態に。脇から頭だけ下げてきました。

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長い参拝の列には高確率で片手袋が落ちてます。これは放置型に見せかけて介入型でしょうね。

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こちらは三か所目。吉原神社。

あと今回の特徴として、吉原や山谷など、普段なかなか足を踏み入れる事のない場所も通るんですね。勿論十数年前とはだいぶイメージが変わっているみたいなんですが。

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四か所目。石浜神社。

吉原神社から吉原、山谷を抜けて白髭橋袂にあるこの石浜神社に向かうのが一番キツかったかな。かなりの距離があるんですよね。

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でもポンポンとタイミングよく片手袋が現れてくれるので、全く飽きは来ません。この“軽作業類介入型街路樹・植え込み系片手袋”を撮ったら、ちょうど日が射してきてテレンス・マリックみたいな雰囲気の写真になりました。

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五か所目、不動院の参道にも当たり前のように落ちてました。

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今戸神社に向かう道中も沢山片手袋が。ちなみに今回は沢山出会い過ぎたので、全ての片手袋はアップしてません。

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六か所目の今戸神社も参拝客が多すぎて、脇から頭を下げました。

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ちなみに今戸神社は招き猫発祥の地らしいのですが、境内のベンチが全てあの有名ネズミだったのは洒落が効いてましたね。

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七か所目、待乳山聖天。こちらは大根で有名ですが、お祀りしてるのがヒンドゥー教のガネーシャらしいですね。あと境内に小さなモノレールがあるのも楽しいです。

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いよいよゴールとなる浅草に足を踏み入れると、もう物凄い人出!嫌な予感がしながら八、九か所目の浅草寺と浅草神社に行ってみると…

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はい!もう見た瞬間諦めました!一度だけ大晦日から年明けになる瞬間に浅草寺に並んだ事があるので勿論覚悟はしてましたが、それにしても凄い行列でした。

という訳で、最後の二か所でお参りできない、という何かスッキリしない、中途半端な結末となってしまいました…。そのせいなのか、単純に長い距離を歩いたせいなのか、結構クタクタになってしまいましたよ。

でもまあ、片手袋的には大満足の結果に終わりましたし、年が明けて皆が何となく晴れやかな顔をしている中を歩くのってすごく楽しかったです。

「片手袋的に幸先の良いスタートを切れたぞ!」

初めての片手袋探しツアーに向けて、確かな手ごたえを感じた僕なのでした。

(『七福神巡りと片手袋探しの記2017②~「片手袋GO」編~』に続く)

P.S 七福神終わった後も、浅草にはそりゃあもう大量の片手袋が…、

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2017年1月 5日 (木)

『アル・箱根』

正月休みは箱根に行ってきましたよ。

片手袋とは日常生活の中で出会う、というのを大事にしているので、逆に言うとどうしても同じような場所での出会いに固定化されてきてしまいます。なのでたまの旅行は片手袋研究にとって貴重な機会です。

朝早く東京を出発し、小田原駅構内の喫茶店で小休止をしたのですが、横のテーブルのお客さんが座席確保に使った手段が…

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片手袋!これはこの旅の成功が早くも確証されたようなもの。

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箱根に着いてまず向かったのは大涌谷。登山鉄道やロープウェイを乗り継いで徐々に高度が上がっていきますが…

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大涌谷到着間際で見事な富士山が姿を見せてくれました!

余談ですが、1月2日は千葉県内房に行ってたんですね。そこで毎年恒例になってる、とある砂浜での片手袋探しをしてたんですが、

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その時撮ったこの写真、後ろにうっすら富士山が写ってるのが分かりますかね?それからわずか二日後に、これ程大きな富士山を見られたので不思議な気持ちになりました。

話を戻しまして、大涌谷に到着して駅から出た直後の事。階段になんと介入型の片手袋発見!

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いや、やっぱりこんな場所にもあるんですね~。

っていうか冬場の大涌谷、物凄く片手袋が発生しやすい場所なんですわ。ここの名物は温泉地ならではの「黒たまご」なんですが、あちこちで皆が食べてる訳です。

で、冬場なんで皆手袋をしてるんですが、当然殻をむく時はそれを外してます。隣で食べてた外国からの観光客を見てたら、片方だけ外した手袋をベンチに置いてるんで、胸のドキドキが止まりませんでしたよ。まあ、その方はその手袋を忘れずにちゃんと持ち帰ってましたが。

だから多分、冬場の大涌谷は一日で結構な数の片手袋が発生してると思いますよ。

そんな新たな片手袋スポット発見に満足し、大涌谷を後にしよう…と思ったら、

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なんと先程の階段の片手袋が、僅か数十分の間に何故か移動してるではありませんか!流石の僕も理由は全然分かりませんでしたが、放置型になったり介入型になったり場所が移動したり、一つの片手袋が辿る運命は決して固定化されたものではないことを再認識しました。これを動的平衡というんですね(多分違うと思う)。

その後は宿へ向かう前に、箱根彫刻の森美術館に寄ってみました。よくテレビでは見ますけど、行ったのは初めてです。

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本当に敷地内に彫刻ばかりが沢山展示されてるんですね~。お馴染みの作家の作品から全く知らなかった作品まで沢山堪能しましたが、僕の心を最も動かしたのはこちらの作品でした。

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宿では食事や温泉を堪能しましたが、何より片手袋的に新鮮な出会いを経験できたのがこの旅行最大の収穫でした。

やはり、たまには新たな土地に出向いて新たな片手袋と出会うべきですね!これからも旅行は大事にしていきたいと思います。

…俺、どこに行っても結局やってる事は一緒じゃね~か。

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2016年12月25日 (日)

『ネット時代の片手袋』

クリスマスとは全く関係ない話をします。

片手袋を研究するには当然の事ながら、実際に町で沢山の片手袋と出会わなければいけません。僕は元来出不精なのですが、片手袋研究を始めてからはなるべく外を歩くようになった気がします(とはいえ、何度も書いてますが、自分内ルールで片手袋を探す為だけに外出する事はしないのですが)。

つまり片手袋を研究する為のメインフィールドは町なのです。駅やスーパーなど屋内にも片手袋は存在しますが、いずれにせよ自分の家の外です。

しかし、数年前に気付いてしまったのですが、今の時代自分の家にいながらにして片手袋を探すことが出来るんですよ!

例えばGoogleストリートビュー。試しに片手袋の聖地である築地を見てみましょう、

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ほら、ちゃんと“介入型三角コーン系片手袋”が写ってるじゃないですか!

もう一つの聖地、湾岸道路はどうでしょう?

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よく見ると、路肩に“軽作業類放置型道路系片手袋”っぽいものが写ってます。

このように、家にいながらにして片手袋観察が出来てしまうんです。

また、Twitterで「手袋 片方 落とした」と検索してみましょう。

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冬場なんか、片手袋を落とした人達の悲痛な叫びが大量に確認できます。こちらは片手袋を落とした人達(時には介入した人達)の心情を理解するのに役立ちますよね?

このようにして、ネット社会では様々な形で片手袋観察が出来てしまうのです。いや、実際に落とした人の心情など、ネット上でしか観察できない片手袋もあるのです。

片手袋研究家としてやるべきことがまた増えてしまいゲンナリですけど、町で実際に観察した片手袋とネット上の片手袋を組み合わせれば、今までと違った試みも可能かもな?なんて考えたりもします。

今日あたり、「クリスマスに彼女にもらった手袋を早速片方落としてしまった人のつぶやき」みたいなのが大量に見られるかもしれませんよ。

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2016年9月22日 (木)

『トム・ハンクス騒動から、これまで収集してきた片手袋関連人物や関連作品をまとめてみました』

9/19(月)の朝。前日まで大賑わいだった、地元の祭りの片付けをしていた僕の携帯が鳴りました。以前お世話になったラジオ番組の放送作家の方です。

「石井さん。お久しぶりです。実はトム・ハンクスが…」

「ああ、片手袋の写真をアップしてますよね!」

「やっぱり知ってましたか!」

この電話の数日前。トム・ハンクスが映画のプロモーションで来日し、神田の老舗蕎麦屋で日本の由緒正しい酔っ払いサラリーマンと撮った写真がツイッターにアップされ話題になっていました。

それをきっかけにトム・ハンクスのツイッターを見た方は気付いたと思いますが、彼、しょっちゅう片手袋の写真をアップしてるんですよね。勿論、僕は相当前から気付いてチェックしていました。

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※こんな感じです

そんなこんなで、何とその日のうちにラジオで「トム・ハンクスと片手袋問題」についてコメントする事に!番組は文化放送の「吉田照美 飛べ!サルバドール」です。

しかし、この日は現在片手袋写真展を開催している谷中のひるねこBOOKSさんで、トークイベントを開催する日だったのです。トークイベントが終わったのが15:20位。そして大急ぎで家に帰って電話出演したのが15:40位。朝から祭りの片付けもしていたのですから、かなり慌ただしい祝日でしたよ…。(ちなみにトークイベントの模様は、また後日ご報告致します)

さて、ラジオで解説した「トム・ハンクスの片手袋写真の特徴」ですが…

①今のところ、殆どが放置型片手袋の写真(ごく稀に介入型もあるが、その場合も拾った人ではなく落とした人目線でコメントしている)。

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②いずれにせよ片手袋そのものというより、見ず知らずの落とし主に感情移入しているようだ。それは想像であれ実在であれ、全く別人になりきる事が出来る役者ならではの視線なのではないか?

という内容でした。トム・ハンクスは介入型が象徴するような“人間の温かみ”より、“放置型”が象徴する“もの悲しさ”に魅かれているのかもしれません。

それともう一つ重要な事。トム・ハンクスが片手袋をアップしている事に気付いた時も、僕は嬉しかったですが驚きは全然ありませんでした。

何故なら11年間の片手袋研究を通じて、「“片手袋に魅かれる”というのは、全然僕だけじゃなかったんだ!」という事を実感してきたからです。

今回はトム・ハンクスという超メジャーなハリウッド俳優が興味を示したので少々話題になりましたが、片手袋に魅かれた人、またその結果生まれた作品は国や時代を問わず沢山存在しています。というか、そういう事例を収集するのも片手袋研究家である僕の大事な役割なのです。

なので今回の事をきっかけに、このブログでも度々ご報告してきた片手袋関連人物、作品を表にまとめてみました。それがこちら。

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※Twitterにもアップしたのですが、そちらが不完全だったので早速訂正・追加を入れました。

勿論これは片手袋分類図同様、これから随時改訂を加えていく予定です。もし片手袋にまつわる何かを発見したら、僕に教えて頂ければ有難いです。

これだけ事例が集まってくると、「果たして片手袋は特殊な趣味なんだろうか?」という気になってきますよね。

それでもなお、僕だけしか出来ない役割があるとすれば、まさにこういう事を収集、アーカイブしたり、片手袋の分類図の精度を上げていったり、片手袋と時代や場所の関連性を調べ上げたり、つまり肩書である“片手袋研究家”としての部分なのかな?と思ってます。

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2016年9月12日 (月)

映画『君の名は。』における片手袋的思想

今、大変な話題を呼んでいる映画『君の名は。』を見てきました。

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http://www.kiminona.com/index.html
(公式サイト)

本当に本当に、素晴らしい作品だったと思います。リアルタイムでこの作品に触れる高校生達が凄く羨ましいな、と思いました。

真っ直ぐな物語が、真っ直ぐに描かれ、真っ直ぐに届く。勿論、生きているのが嫌になってしまうような衝撃を与えてくる作品も大好物ですが、一方で非常に素晴らしいクオリティの真っ直ぐな作品が成立し受け入れられる状況が存在している事に喜びを感じました。

ところで、この映画が訴えてくる人間観に対して、「素晴らしいけど大人から見ると、青臭くて気恥ずかしい部分もあるな」と感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか?“青春ファンタジー”という括りをされてしまうのかな?と。

しかし、片手袋研究を長年続けてきた僕から見ると、この映画が訴えかけてくるものはむしろ非常にリアルに感じられたのです。なので、今日はその辺りを少し書いてみたいと思います。

(以下、ネタバレを含みます)

『君の名は。』で重要な意味を持ってくるモチーフに、“組み紐”があります。主人公の三葉の家は代々続く神社ですが、そこには独特の風習が幾つも継承されており、その中の一つが組み紐です。

この丁寧に編み込まれていく組み紐が、たとえ見ず知らずの人とでも複雑に絡み合い形成されていく人間社会や歴史を象徴して、物語の重要な鍵となっていく訳です。

この「時空や場所を超えた人とでも交錯しているかもしれない我々の人生」という部分が、この映画における最大のファンタジー的要素だと思われるかもしれません。「んな都合の良い出会いがあるかい!」という風に。

でもこの考え方。僕が片手袋観察を続けてきた中で“リアルに”感じてきた事だし、ネットやメディアや作品を通じて伝えようとしてきた片手袋の魅力そのものなんですよね。

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私達は日々、大切にしている物さえ半分落として忘れて生きている訳ですが、

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しかしそれを拾い上げ目立つ場所に置いてあげる人もいる。

この時、落とした人と拾った人の人生は一瞬の交錯を見せるのですが、お互いがそれに気付く事はないかもしれない。

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そして僕はその一瞬の交錯を記録し続けている訳ですが、それは常に“交錯した瞬間”ではなく“かつて交錯があった”という証拠を記録しているのです。つまり、片手袋の向こうに、“過去、そこを通過した人々”を見ている訳で、時間の壁を越えて今はいない人を見る、という感覚は非常に理解出来るのです。

なので新海監督が『君の名は。』で描く、「人と人は出会わずして繋がっている。そしてその繋がりは、時空を超えた存在とも時には持てるものなのだ」というような感覚が、片手袋研究家の僕にはファンタジーではなくリアリズムとして受け止められたんですよね。

なによりここだけの話、実はまだ実現していない片手袋アート作品の構想がまさに「紐」を使用したものだったので、正直驚きましたよ。

少し特殊な感想になってしまいましたが、勿論片手袋視点なんて抜きにしても傑作である事は間違いないので、未見で気になっている方は今すぐ劇場へ急いでください!

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2016年8月19日 (金)

『マニアまにある』出演の記録

もう一週間ほど前になってしまいますが、BS日テレで放送された 「中川翔子のマニア★まにある」に出演させて頂きました。

様々なニッチマニアを紹介する内容で、なんと片手袋研究はベストニッチマニアを受賞!あれほどマニアックな世界に理解があるしょこたんも、僕の謎の行動&話に困惑していましたね…。

ロケを撮影したのは6月下旬。確実に片手袋を見付けるのには難しい季節である事はお伝えしていたので、基本は喫茶店で片手袋を熱く語るシーンの撮影を予定していました。

でも一応喫茶店に向かって町中を歩きながら、片手袋を見付けやすいポイントなんかを解説する事に。そしたらね、ちゃんと出てきてくれるんですよね~。

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まずは軽作業類放置型籠系片手袋。触れられないので手袋かどうか確実な判断は難しかったですが、女性用の日よけ手袋でした。

さらにこれ。

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これは軽作業類放置型道路系片手袋でした。カットされてましたが、「片手袋は常に写真が撮りやすいような場所にいてくれる訳ではなく、このように道路の向こう側に出現したりもする気まぐれな存在。だからこそ益々追いかけてしまう!」なんて熱弁してしまいました。

そして最後がこれ。

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素晴らしい!六月下旬にファッション類ですよ!ファッション類介入型フェンス系片手袋!

この片手袋は見所が沢山あるので長時間語ってしまいました、

①介入型なのだが、紐でフェンスに吊るす、という拾った人の工夫と優しさ。

②スマホ対応手袋である事。スマホの普及に比例してスマホ対応手袋の片手袋も増えた。片手袋は時代の流れを反映している、という事。

③六月下旬である事から、最近拾われたとは考えにくい。拾われたのが三月後半としても、三か月くらいここに存在し続けている事になる。もはや町の景色として定着しており、処分し辛くなっているのかもしれない、という事。

しかしこんな説明をしていて、僕は見付けてしまったのです。フェンスの奥の物体を。

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なんと、同じような茶色い手袋が!

「なんだ、両手袋だったのか…」

とガッカリしたのですが。よくよく見てみたら、柄が全然違う。そう、なんと同じ場所に介入型と放置型、二つの片手袋が落ちていたのです!

「こ、こいつは凄ぇ!」

と、さらに大興奮してこの素晴らしい状況を説明したのですが…。全部カットされてました!

まあとにかく、当初は考えもしなかった実りあるロケになりました。しょこたんは勿論、昔からファンだったサンキュータツオさんにも片手袋研究を届けられて嬉しかったですよ!

僕が出演したこの回、8/27にも再放送があるそうなので、未見の方は是非ご覧下さいませ!

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来月に迫った片手袋トークイベント。残席が僅か四席となっています。ご予約はお早めに!

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詳細はこちらをご覧ください。

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2016年3月28日 (月)

『メディアの中の片手袋~ひつじのショーン~』

『映画 ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム』を見ていたら、片手袋が登場していましたよ。

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これは分類でいうと「軽作業類放置型実用系片手袋」ですね。

それにしても、ディズニーをはじめとしてアニメ作品には片手袋がよく出てきます。もう一つ片手袋を題材にした作品が多いのは絵本なのですが、どちらも子供を対象としたジャンルである事が気になります。

童心と片手袋には何か繋がりがあるのでしょうか?今後注意していきたいと思います。

アニメに関しては、「片手袋の描写をめぐるディズニーとジブリの奇妙な一致」という現象に気付いたのですが、いずれじっくり書きたいと思います。

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2016年2月16日 (火)

メディアの中の片手袋~『キャロル』~

『キャロル』という映画を見てきました。

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1952年、ニューヨーク。高級百貨店でアルバイトをするテレーズは、クリスマスで賑わう売り場で、そのひとを見た。鮮やかな金髪。艶めいた赤い唇。真っ白な肌。ゆったりした毛皮のコート。そのひともすぐにテレーズを見た。彼女の名はキャロル。このうえなく美しいそのひとにテレーズは憧れた。しかし、美しさに隠された本当の姿を知ったとき、テレーズの憧れは思いもよらなかった感情へと変わってゆく......。キャロルを演じるのはケイト・ブランシェット、テレーズを演じるのはルーニー・マーラ。いま最も輝いているふたりの女優。ふたりの視線が交わる瞬間、忘れられない愛の名作が誕生した。(公式サイトより)

とても素晴らしい映画だったのですが、まだ公開が始まったばかりですし詳細は省いて片手袋研究家として一言だけ。

本作は手袋を忘れる人がいてそれを届ける人がいる、という何気ない善意から物語が始まります(片手袋ではなく両手袋ですが)。何度も当ブログでも触れてますが、既に1881年の時点でドイツの画家マックス・クリンガーはこの行為を起点とした連作版画を制作しています。

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マックス・クリンガー 『手袋』:行為

マックス・クリンガーの連作版画は、男性が女性の手袋を拾い上げる所から、思いもよらぬ物語が展開します。『キャロル』も同じ行為を起点として人間の繊細な心の動きを描写していきます。冗談のようですが、片手袋から様々な物語を想起してしまうのは僕だけではないのです。

さて、逆に手袋を忘れる事で物語を終える作品もあります。それはスピルバーグ監督の2012年作、『リンカーン』。この映画については、既に公開当時当ブログでも触れました。 その時は公開されたばかりで書かなかったのですが、実はあの映画はリンカーンが手袋を忘れる(置いていく)シーンで終わるんですよね。

『リンカーン』が何故手袋を置いていくシーンで終わるのか、解釈は色々あるようです。単純にリンカーンが物忘れの激しい人だったからとか、正装時に手袋をするような堅苦しさが嫌いだったとか。

でも僕は、町で落ちている手袋を見ると思わず拾ってしまうように、リンカーンの置いていった物を今の時代に皆が拾い上げなくては、というスピルバーグの意思かな?と強引に解釈しております。

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それでは、『キャロル』は何故忘れられた手袋を届ける所から始まるのでしょうか?

それはキャロルが忘れた(忘れようとしていた)ものを、テレーズが再びキャロルのもとへ送り届ける(思い出させる)という事だと思うのです。果たしてキャロルの忘れたものとは何なのか?それこそ映画のテーマそのものなので、是非ご覧になって下さい!

以上、片手袋研究家目線の感想でした。

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