番外

2017年7月19日 (水)

『俺、満島ひかりが片手袋投げたらどんな顔するだろう(知らねーよ!)』

一か月以上前に公開され話題を呼んだMONDO GROSSO『ラビリンス』のPV。

満島ひかりが曲名の通りな香港の町中を怪しく彷徨うこのPV。曲も満島ひかりのダンスも独特の浮遊感があり、なんか中毒性があって何回も見てしまいますよね。ちょっとRadioheadの『Daydreaming』のPVを思い出しました。

さてこの『ラビリンス』、僕もここ一か月何回も見ていたんですが、とんでもない事に気づいてしまったのです。

ちょうど1:40くらいからのシークエンスを見て欲しいのですが、満島ひかりが商店の棚に並べられた何かに気づきます。

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そしてそれを手に取り、投げるのです!

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これ、何回も繰り返して見たんですが片手袋ですよ!気づいた時は腰を抜かしました!

こちらの映像ではこのシーンの別角度や(1:30くらいから)、このPVの撮影裏を見れるのですが…



世界的に有名な振付家の方と打ち合わせながら撮っている部分(当然振付がきちんとある踊りの部分)と、監督と話し合って割とアドリブ的な動きで撮っていく部分があったみたいです。

で、おそらく片手袋を放り投げたシーンはアドリブだったんじゃないかな?と。

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片手袋を見つけた瞬間の満島さんは、なんとなく「ん?」という感じが漂っていて、あらかじめこれを投げることが決まっていたようには見えないんですよね。

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それなのに投げ終わった後のこのチャーミング且つ妖艶な表情。満島さん、あんたスゲーよ!

全体的に迷宮に迷い込んだような不思議な感覚が漂うこのPVですが、この片手袋放り投げシーンがある事でそこに若干のユーモアもプラスされている気がします。先程のさう栄舞台裏映像の中でもこのシーンは取り上げられているので、製作者側も気に入っているんじゃないかな?と勝手に思ってます。

今回は「何故満島さんが片手袋を投げたのか?」とか「意図していたのか、偶発的なのか?」といった疑問に明確な答えは出せませんが、いずれにせよ満島ひかりさんは、

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『ギルダ』のリタ・ヘイワース、

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『アナと雪の女王』のエルサと並び、

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「世界三大片手袋放り投げ女性」に見事選ばれました!おめでとうございます!

それにしても、本当に思いもよらぬところで片手袋と出会うから、全く気が抜けませんよ。

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2017年7月12日 (水)

『公的でも私的でもない曖昧な空間~田中元子さんと岸野雄一さんの対談から~』

昨日(7/11)、フェイスブックライブで配信された、建築評論家の田中元子さんスタディストの岸野雄一さんの対談が非常に面白かったです。

こちらからアーカイブを見ることが出来ます。

その内容は僕が片手袋や路上観察を通して見ている東京という町、そして地元の一住民として町内会などで担おうとしている役割などに深くかかわる内容でしたので、このブログに備忘録を書いておこうと思います。まとまりもなく非常に長い記事です。すみません。

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2017年7月 7日 (金)

『いま、ここにいる』展を見てきました

先日、東京都写真美術館で開催中の『いま、ここにいる』展を見に行ってきました。

きっかけとなったのは、先日の『別視点ナイト』をご覧になった方のつぶやきでした。なんでも、「植木鉢やゴムホース、おまけに片手袋の写真まである!」との事。『別視点ナイト』でも話をさせて頂きましたが、町で出会う片手袋を記録するのとは別に、絵画や映画などあらゆる創作物の中に登場する片手袋を収集するのも僕の大事な役割の一つ。

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この展覧会のことは全然知らなかったので、慌てて恵比寿に向かいました。

『いま、ここにいる』展の趣旨はHPで読んで頂くとして、問題の片手袋が登場する作品は、安村崇氏の『日常らしさ』という連作の中の一枚でした。

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これがその写真です(※画像はこちらのサイトから転載させて頂きました)。

安村氏の実家の風呂場の何気ない風景。おそらく作者が手を加えたのではなく、本当に日常的にこのような風景が繰り返されているのでしょうね。

湯かき棒に乗せられたピンクのゴム片手袋。一見すると

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このような「介入型棒系片手袋」に見えますが、僕はおそらく違うと思います。多分これはお風呂掃除の際に使用したゴム手袋を乾かしているのでしょう。そうだとすると、

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たまに見かけるこのような「植木の上などに引っかけられている片手袋」に近いと思います。多分土の入れ替え時などに使用した軍手を洗って乾かしているんですね。

こちらのサイトの作品解説には、「世界の「裂け目」を露わにするそのユニークなまなざしは…」 とありますが、やはり人の手の形をした手袋が片方だけ現れた瞬間、どんな景色も普段とは違う異質なものに感じられ、世界の裂け目が表出してくるような感じに襲われてしまいます。

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安村氏の片手袋写真はその裂け目が、実家という極めて日常的な空間にすら現れることを教えてくれます。

いや~、こんな素晴らしい片手袋作品を見逃さずに済んでよかったです。創作物の中の片手袋は、僕がありとあらゆる創作物をチェックすることが不可能な以上、見逃してしまう可能性も大きいのです。こればかりは集合知に頼るしかありません。

皆様も、「〇〇に片手袋が登場するよ!」という情報がありましたら教えて頂けると幸いです。

ちなみに『いま、ここにいる』展は、恵比寿の東京都写真美術館で今週日曜(7/9)まで開催しています。

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2017年3月27日 (月)

『片手袋を題材にした新たな絵本を発見!~てぶくろくろすけ~』

片手袋が話の主題になっていたり、片手袋が登場したりする作品は古今東西あらゆるジャンルに存在しています。それらを収集するのも片手袋研究家の大事な役目です。

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それらをまとめた上の図を見て貰うと、片手袋にまつわる絵本の多さに気付いて頂けると思います。

・そもそも僕が片手袋に興味を持ったきっかけは、小学校一年生の時に出会ったウクライナの絵本『てぶくろ』である事は何度もお伝えしてきました。

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『てぶくろ』(福音館書店)

当ブログでの紹介記事はこちら。

・アカデミー賞にノミネートされた事もある山村浩二さんが絵を手掛けた、『カタッポ』という作品もあります。

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『カタッポ』(福音館書店)

当ブログでの紹介記事はこちら。

・アメリカにも『てぶくろがいっぱい』というふたごと沢山の片手袋のお話がありますよ。

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『てぶくろがいっぱい』(偕成社)

当ブログでの紹介記事はこちら。

・北欧ノルウェーからは『キュッパのはくぶつかん』。こちらは片手袋がメインではありませんが、注意して絵を見て貰うと沢山の片手袋が描かれています。

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『キュッパのはくぶつかん』(福音館書店)

当ブログでの紹介記事はこちら。

・さて、今日の本題。またまた片手袋絵本を見付けてしまいましたよ!しかも発行は1973年。40年以上も前の日本の絵本です!

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『てぶくろくろすけ』(福音館書店)

手袋の一家ではみんな右と左が一緒になって眠っていました。手袋のくろすけは、片一方だけで部屋をぬけだし雪野原で遊びまわるうち、坂道をすべりおち“てぶくろこどもこうえん”に着きました。そこではたくさんの手袋の子どもたちが遊んでいましたが、みんな左右いっしょで、ひとりだけのくろすけは仲間に入れてもらえません。長新太が手袋の世界をシンプルな配色で描きます。(福音館書店のサイトより)

てぶくろくろすけ君のいたずら心から始まる冒険譚です。今までご紹介した中では『カタッポ』に近いですね。でも『カタッポ』は悲しいような温かいような結末を迎えますが、こちらはもう少し楽しい感じのお話。

でも、あの長新太が絵を手掛けていますので、楽しいながらも全体的に不思議な雰囲気(うっすらと怖さすらも)が漂っているんです。なんというか、『おしいれのぼうけん』っぽい感じ、と言いますか。

とても幻想的な魅力を持った作品なので皆さまにも読んで頂きたいのですが…。残念ながら「こどものとも」という福音館が月刊で出している絵本シリーズ、しかも40年以上前の作品ですので、手に入り辛いとは思います。でもAmazonでは若干中古で手に入るみたいなので、気になる方はチェックしてみて下さい。

それにしても、なぜ片手袋は絵本作家を惹きつけるのか?やはり片手袋の不思議な存在感が、物語の創作意欲に火をつけるのでしょうね。

今後も片手袋と絵本の関係は探っていきたいと思います。

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2017年3月15日 (水)

『お嬢さん』と『アナ雪』を繋ぐ手袋演出

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韓国映画、『お嬢さん』を見てきました。

TBSラジオのたまむすびという番組で、映画評論家の町山智浩さんが薦めてたので気になっていたのですが、いや~、あらゆる意味で物凄い映画でした。

TOHOシネマズのサイトよりストーリーを転載しますと…

舞台は1939年の朝鮮半島。支配的な叔父と、膨大な蔵書に囲まれた豪邸から一歩も出ずに暮らす華族令嬢・秀子(キム・ミニ)のもとへ、新しいメイドの珠子こと孤児の少女スッキ(キム・テリ)がやってくる。実は詐欺師一味に育てられたスッキは、秀子の莫大な財産を狙う“伯爵”(ハ・ジョンウ)の手先だった。伯爵はスッキの力を借りて秀子を誘惑し、日本で結婚した後、彼女を精神病院に入れて財産を奪う計画だ。だがスッキは美しく孤独な秀子に惹かれ、秀子も献身的なスッキに心を開き、二人は身も心も愛し合うようになってしまう……。

しかし、このあらすじから想像し得る作品像の300倍くらい不思議で妖しく、笑ってしまう程エロティックな作品でした。取り敢えず世界中で日本人が一番気まずい気持ちになる映画、とだけ申し上げておきます。まさか映画館で“あの単語(しかも日本語)”を何度も耳にする事になろうとは…。

昨年刊行され三島由紀夫賞受賞会見が話題になった、蓮實重彦の『侯爵夫人』との奇妙な符合など語りたい事は山ほどありますが、それより何より手袋ですよ!

実は先程のラジオ番組で町山さんは「アナ雪みたいな展開になっていくんです」と言っていたのですが、それが全然冗談じゃなかったのです!

勿論、描き方こそ100億光年くらいかけ離れた両作なのですが、根底にあるテーマは確かに重なるのです。何しろ、劇中で手袋が果たす役割が物凄く似てるんですよ。

映画が始まって割とすぐ、お嬢さんの部屋にある箪笥が手袋でびっしりと埋め尽くされているのが映るんです。それを見て片手袋研究家としては、「あれ?」と反応したのですが…。結局映画の最後まで手袋は重要な意味を持たされていました。まあアナ雪とは違って、『お嬢さん』は片手袋というより手袋なんですけどね。

つまり『アナと雪の女王』も『お嬢さん』も、手袋は抑圧された「女性性」や「他者に本心を悟られないようにする為の心の壁」みたいなものの象徴なんですよね。(詳しくは以前、アナ雪の手袋について解説した記事をご覧下さい)

それを踏まえて、映画鑑賞後にこの映画のポスターを手袋に注目して見てみると、色々な意味が隠されていた事に気付きます。

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映画において衣装が登場人物の心情などを象徴している、というのは珍しくないのですが、その中でも手袋は性的な意味を持たされる事が多いように思います(古くは『ギルダ』や『ローズマリーの赤ちゃん』、最近では『キャロル』なんかを手袋に注目して見て下さい)。

それが何故なのか?という事を調べる事は、実は片手袋研究においても非常に重要である、と最近気づきまして。その理由に関してはまた別の機会に書いてみますが、とにかく片手袋研究はまた一つ大きな課題に直面してしまいました。つまり「やはり片手袋を知るには、手袋そのものについての研究もしなければいけない」という大き過ぎる課題に…。

話は逸れましたが『お嬢さん』、とても面白かったです。R18作品である事からそれ相応の覚悟を必要とするのは察して頂けると思いますが、もしご覧になる方は手袋に注目してみて下さい!

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2017年3月 4日 (土)

『今夜放送!アナと雪の女王は片手袋(もしくは手袋)に注目して見ると、本当に100倍楽しめるぞ!』

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本日3/4、21時からフジテレビで『アナと雪の女王』が地上波初放送になります。

本作において、手袋の演出というのが非常に大きな意味を持っています。それは「寒いシーンでは手袋をしていて、室内のシーンなどは外している」という単純な意味を超えて、明らかにそこには様々な意図が込められています。

それどころか最初に劇場で見た時から思っていましたが、この映画は少なくとも前半30分は片手袋を中心に物語が動いていくんですよ!冗談だと思われるかもしれませんが、その理由を解説してみたいと思います。

①エルサの手袋がいつ外れるのか、何故外れるのかに注目してみよう!

エルサは自分の能力を封印する為に、幼少の頃に経験したある事件以降ずっと手袋をしています。

しかし、大人になったあるタイミングでアナが片方だけ外してしまいます。アナがエルサの手袋を片方外す、という事の裏にはどんな意味があるでしょう?

そして片手袋だけの状態になったエルサは、雪山でもう片方も空に放り投げます。彼女が手袋と共に放り投げたものは何なのか?まさに数年前、何百回と聞いた『Let it go』のサビに入る瞬間ですのでお見逃しなく!

※幼少時のエルサに手袋を嵌めたのは両親です。それを考えると、公開時に本作はよく「社会に抑圧されている女性が解放されるまでの映画」と言われていましたが、「子供が成長し、両親の呪縛から解放される映画」と見る事も出来るでしょう。

さて、ここまでで約三十分。でもここからは(いや、実はもっと前から)片手袋と言わないまでも、『アナ雪』は手袋をめぐる演出が冴えわたっている映画なのです!

②『アナ雪』において手袋はその人の心の壁を表している

これは特にエルサとハンスに顕著な演出なのですが、手袋は二人の心の動きを表しているんですよね。

先程も述べたように、幼少の頃からエンディングまで、エルサが素手なのか手袋をしているのかに注目してみて下さい。それは見事にエルサの心の動きと呼応しています。「ありのままで」と歌う瞬間に片手袋を放り投げるのですから、そこから逆に手袋がエルサにとって何を意味していたのか分かると思います。

ハンスは登場時からずっと手袋をしています。でも後半、暖炉のある部屋で片手袋を外すんですよね。それは彼の隠された本心が露になるタイミングと呼応しています。さらに言うと、この時ハンスが外すのはあくまで片手袋です。彼が最後まで外さなかったもう片方の本当の内面、それは案外臆病で自信を喪失している男の姿かもしれません。

「片方だけ外す」というのはエルサもそうです。彼女の手袋はアナによって片方外され、もう片方は彼女自身が放り投げます。つまり、両方自分の意思で外した訳ではありません。

「ありのままで」と歌いながら、彼女はむしろ自分の心を閉ざし氷の城に立て籠もってしまうんですよね。この時点の彼女はハンスと同様、まだ片方しか自分の本心を解放していないように思います。

③『アナ雪』において、手袋は人間関係を表している

物語冒頭、幼き日のアナとエルサは二人とも手袋をしていません。しかし、いつしかエルサは常に手袋をするようになります。それをアナが片方外してしまった事から物語は動き出します。

でも、再び二人共に素手で向かいあう事はなかなか出来ません。二人は幼少の頃のように、再び素手で手と手を取り合う事が出来るのか?というのはこの物語において大きなポイントです。是非この点にも注目して下さい。

物語の中盤はアナとクリストフが中心になって進みます。実はクリストフは(冒頭の幼少時を除いた)初登場時から、アナに素手を見せているんです。ギターを弾いているシーンですね。クリストフは最初からアナに本当の姿を見せていたのです。

一方、いきなり恋に落ちてしまったアナとハンスですが、ハンスはアナに素手を見せる事は決してありません。先程も書きましたが、暖炉のある部屋でハンスは初めて片手袋を外します。その時、二人の関係は決定的に変わってしまいます。

手袋を外し素手を見せる事が、本当の姿を見せる事の比喩として用いられる為、それは人間関係が良い風にも悪い風にも変わっていく転機となります。

『アナ雪』は寒い寒い氷の世界のお話ですから、殆どのシーンで皆手袋をしています。しかし最後の最後、アナやエルサ、クリストフの手に注目してみて下さい。それは単なる気候の変化を超えて、きっと彼らの関係性の変化を象徴している筈です。

以上のように、『アナと雪の女王』は徹頭徹尾「片手袋(もしくは手袋)の映画」なのです!「そんなのお前の勝手な思い込みだろう!」と言われてしまうかもしれませんが、アニメというのは実写と違って映っている物は全て意図的に描きこまれているのです。

だから手袋をしているかしていないか、という事にも確実に作者達の意図が込められていると思います。

ここまで断言するのは、登場人物の身に付けているものに意味を持たせるのは映画ではよくある手法ですし、実はディズニー・ピクサー映画には他にも片手袋が登場する作品があるからなのですが、それはいずれまた解説したいと思います。

片手袋研究は、本当にあらゆる事に注目していないとなりませんね。

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2017年1月20日 (金)

『恵方巻のノボリ』

すみません。今日は直接片手袋に関係ない話なんですが。

片手袋を撮るという事は、片手袋の周辺も記録するという事ですよね?だからこそ気付く些末な事柄もあって。

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例えばこの片手袋写真。後ろにファミマの恵方巻のノボリが映ってますよね?これを撮ったのが、一昨年。

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で、これが今日撮った写真。

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二つのノボリを見比べてみると、ファミマが毎年ノボリを新しくしてる事が分かりますよね?いや、だからどうしたって事はないんですが、自分が撮っているものが後年、思いもよらない重大な記録になる可能性だってゼロではない訳で。

そう考えると、そもそもの“片手袋を撮る”という行為だって、決して疎かには出来ませんよ。いや、疎かにした事は一度もないんですけどね。

皆さんも、その辺、意識して下さいね!それでは今日はここまで。チャオ!

P.S 冒頭にわざわざ“今日は直接片手袋に関係ない話なんですが。”と書きましたが、その事に憤慨する人なんているんですかね…。

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2017年1月17日 (火)

イオセリアーニ監督の新作『皆さま、ごきげんよう』は、片手袋的視線に貫かれた傑作である!

たまに「片手袋を感じる映画」というのがあるんですが、それには二種類あるんですね。

一つは「単純に片手袋が画面に描かれている映画」。『モンスターズインク』や『アナと雪の女王』、『ローズマリーの赤ちゃん』や『フレンチアルプスで起きたこと』なんかがそうです。どこに映っているかは、実際に見て確かめて下さい。

二つ目は「片手袋が映っている訳ではないが、片手袋的な思想を感じる映画」。近年では何といっても『君の名は。』がそうで、当ブログでその理由を解説しました。

で、今日見に行ったオタール・イオセリアーニ監督の『皆さま、ごきげんよう』という映画が、二つ目の意味で片手袋映画の傑作だったのです!忘れないうちにその理由を書いておこうと思います。

『皆さま、ごきげんよう』(2015) オタール・イオセリアーニ監督

フランス革命の時代、どこかの戦場、現代のパリ―時代が違っても、変わることなく繰り返される人間の営み。争いや略奪、犯罪は決してなくなることはない。それでも、溢れるほどの愛や友情、希望がある。寒い冬の後には、必ず花咲く春がやって来る。明けない夜はない。そう、明日は今日よりも良いことが待っている。混沌とする社会の不条理を反骨精神たっぷりのセンスの良いユーモアで、ノンシャランと笑い飛ばす。公式サイトより

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僕はフランスのジャック・タチ監督(1907-1982)の大ファンなんですが、世界中に「タチを感じさせる」と言われる映画監督がいるのです。今までそういう監督・作品を色々とチェックしてきましたが、個人的にはイオセリアーニ監督が一番タチに近いものを感じるんです。撮影スタイルや題材はそれほど似てないんだけど、作品を通して得られる印象や思想からタチの影響を強く感じるのです。

そんなイオセリアーニ監督久々の新作とあらば見ない訳に行きません。公開から一か月経ってしまったのですが、ようやく今日、岩波ホールに行き見る事が出来ました。

決して分かりやすい作品を撮る監督ではないので、終演後場内には「ポカーン」とした空気が蔓延しておりましたが、僕は大変感動いたしました。というのもこの作品、普通に見てしまうと確かに捉えどころがないのですが、片手袋というファクターを通して見てみると、驚くほど分かりやすくなると思うのです。

「この作品が最終的に言いたいのはこういう事だったんですよ!」というタイプの解説を受け付ける作品ではないのですが、作品全体の骨格となっている思想を読み解くために、片手袋を用いて幾つかの設定やシーンを解説してみたいと思います。

①異なる時代に同じような現象が見られたり、同じ俳優が幾つもの異なった役を演じたりしているのは何故か?

作品解説にもある通り、この作品には三つの異なる時代、場面が描かれています。フランス革命の時代、どこかの戦場、現代のパリです。しかも同じ俳優がそれぞれの時代に出てくる様々な登場人物を演じ分けたりしています。フランス革命時にはギロチン処刑で首を切られる側と執行する側が、現代のパリでは親友同士になっていたりする。

時代や場所が異なる人たちを描いているようで、それが最終的にはつながってくる。こういうのって、群像劇の醍醐味ですよね。近年では『クラウド・アトラス』という作品なんかが、時代も場所も超えて繋がってしまう人間関係を描いていて面白かったです。

イオセリアーニ監督の作品はこういう設定が多いのですが、他の監督の群像劇に比べると、その繋がりが緩やかなんですね。異なる時代に同じような人達が存在しているのだが、それぞれが結びつくようで結びつかず、でも劇的でない形ですれ違ったりする。

また、ギロチン処刑で首を切られる側と執行する側は、現代のパリでは親友同士になっているが、やっぱり首が意味を持っていたりする。でもその意味は物語に大きく影響を与えるようなものではなく、もっとささやかな偶然なのです。

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この片手袋を落とした人、それを拾ってあげた人、手袋の指の間にエンピツを挟んだ人。おそらくそれらの現象は異なった時間、異なった人によって行われたのだが、この片手袋一点においてそれぞれの人生は一瞬すれ違ったのです。

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また、片手袋を研究していると、全く違うタイミングで同じような現象に遭遇することが多々あります。その回数が多ければ片手袋分類図に組み込むんですが、例えば「自転車のハンドルにぶら下げられた片手袋」なんて、何か定型化できるような根拠はない。でも全然関係ない人達によって、同じような行動が繰り返されているのは事実なんですね。

イオセリアーニ監督が、異なる時代、異なる場所の人間達を緩やかにすれ違わせたり、意味を読み取れる程ではない位のレベルで同じような行動を取らせたりするのは、とても片手袋的だと思うのです。

②風は誰にでも吹く

劇中、とても印象的な場面があります。色んな場所で突風が吹き、色んな人達の色んなものが飛ばされていきます。

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立場や階級、場所が異なっていても、風だけは誰にでも吹く。

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軍手に毛糸、ファー付きの手袋まで。それぞれの持ち主の職種や経済状況はバラバラであろうとも、片手袋を落とすという一点においては平等です。金持ちも貧乏も、大人も子供も、人種や宗教も関係なく、どんな人間も手袋を落とす。だからこそ片手袋は人間の普遍的な本質に迫っている気がする(と僕が勝手に思い込んでいる)。

『皆さま、ごきげんよう』に吹く風は、まるで片手袋そのものです。

③ペシャンコになった人、ならなかった人

映画の中で最もショッキングでいながら、最も笑いがこぼれてしまう(そう、本作は基本的にコメディなのです!)シーン。それが道端で倒れた老人がローラー車に轢かれてペシャンコになってしまうところです。

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よく『トムとジェリー』なんかで見るアニメ的誇張表現を、実写で再現してしまうんだから驚きました。しかも陰惨なシーンになるどころか、はっきりと本作一番の笑いどころにもなっています。

そしてこのシーン。映画の後半で違う登場人物達によって再現されます(複雑なんですが、演じてるのは同じ俳優なんですけどね)。しかし今度は、よろめいた老人を親友が支えてローラー車には轢かれません。

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例えば、同じように路上に放置されている軍手でも、人や車に踏まれ続けてペシャンコになるものもあれば、原形を留めたまま無事でいるものもある。

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もっと言えば、同じように電柱の傍で落とされたのに、そのまま放置されてるものもあれば、優しい誰かが拾い上げて電柱に引っ掛けてあげるものもある。

これら二つの片手袋がそれぞれ辿る運命は、何に・誰によって決定されるのか?それともそれを決めるのは偶然だけなのだろうか?

・人間は場所や時代を超えて結局同じような行動を取ってしまう。

・生まれ変わりがあったとしても、いつの時代でもくっ付いてしまう関係もあれば、毎回すれ違ったまま終わる関係もある。

・結局それぞれがそれぞれに勝手に生きているけど、風に代表されるような誰にでも等しく訪れる現象もある。

・人の死を決定してしまうような恐ろしい事態も、違う人が経験した時は誰かの助けによってそのまま過ぎていってしまう事もある

『皆さま、ごきげんよう』の、イオセリアーニ作品の、こんなところが非常に片手袋的だと思います。そして何より、「人間って、世の中って、基本的には糞ったれでどうしようもないけど、人が落した手袋を拾い上げるぐらいの良さはあるよね」という世界の認識が似てる気がするんですよ。

何の予備知識もなく触れると難解な印象を持ってしまうかもしれない本作ですが、こんな風に片手袋を通して見てみると、イオセリアーニ監督の厳しくも優しい視線が感じ取れると思いますよ。興味がある人は是非、どうぞ。

『皆さま、ごきげんよう』は神保町・岩波ホールで2月10日、金曜日まで上映しています。

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2017年1月10日 (火)

『七福神巡りと片手袋探しの記2017①~浅草編~』

2014年から毎年、年初には「片手袋探し&七福神巡り」を行うのが恒例となっておりました。勿論個人的にやっていたのですが、今年は東京別視点ツアーさんがそれをイベント化してくれました。初めてガイドとして皆様をお連れする訳ですから全く知らない場所より、過去三回行ってきた「谷中七福神巡り」を選択するのが無難と判断。

一応、例年通り個人的にもやっておきたかったので、年初の七福神巡りは初めての「浅草名所七福神」を選んでみました。

決行日は一月三日。天気は最高に気持ちの良い快晴。まずは一か所目、かっぱ橋道具街にほど近い矢先神社からスタートする為、最寄りのバス停で降りました。

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そしたらもう、いきなり二つの片手袋と出会ってしまいました。この日はとても暖かかったので、正直片手袋の方はそんなに期待していなかったんですけどね。

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一か所目の矢先神社です。こちらは福禄寿をお祀りしています。で、ここで衝撃の事実が発覚。

“浅草名所七福神”は九か所巡らなければならない!

いや、事前に全く調べず、「とりあえず一か所目の神社に地図とかあるだろ」という軽い気持ちで始めたものですから、驚きましたよ。七福神で九か所って…。しかも歩く距離がいつもの谷中より相当長い!体感としては二倍くらいに感じましたよ。

で、「距離が長い=片手袋が滅茶苦茶多い」という事も分かってきまして。

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大阪のおばちゃんの来てる服のようなカラーリング

当初の予想を裏切り、ものすごい勢いで片手袋と出会います。

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あと三が日だったので、さすがに人が多い!各神社、七福神巡りだけでなく普通に初詣の参拝客がいるので、場所によってはお賽銭を諦めざるを得ませんでした。

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二か所目の鷲神社で既に参拝を諦める事態に。脇から頭だけ下げてきました。

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長い参拝の列には高確率で片手袋が落ちてます。これは放置型に見せかけて介入型でしょうね。

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こちらは三か所目。吉原神社。

あと今回の特徴として、吉原や山谷など、普段なかなか足を踏み入れる事のない場所も通るんですね。勿論十数年前とはだいぶイメージが変わっているみたいなんですが。

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四か所目。石浜神社。

吉原神社から吉原、山谷を抜けて白髭橋袂にあるこの石浜神社に向かうのが一番キツかったかな。かなりの距離があるんですよね。

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でもポンポンとタイミングよく片手袋が現れてくれるので、全く飽きは来ません。この“軽作業類介入型街路樹・植え込み系片手袋”を撮ったら、ちょうど日が射してきてテレンス・マリックみたいな雰囲気の写真になりました。

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五か所目、不動院の参道にも当たり前のように落ちてました。

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今戸神社に向かう道中も沢山片手袋が。ちなみに今回は沢山出会い過ぎたので、全ての片手袋はアップしてません。

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六か所目の今戸神社も参拝客が多すぎて、脇から頭を下げました。

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ちなみに今戸神社は招き猫発祥の地らしいのですが、境内のベンチが全てあの有名ネズミだったのは洒落が効いてましたね。

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七か所目、待乳山聖天。こちらは大根で有名ですが、お祀りしてるのがヒンドゥー教のガネーシャらしいですね。あと境内に小さなモノレールがあるのも楽しいです。

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いよいよゴールとなる浅草に足を踏み入れると、もう物凄い人出!嫌な予感がしながら八、九か所目の浅草寺と浅草神社に行ってみると…

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はい!もう見た瞬間諦めました!一度だけ大晦日から年明けになる瞬間に浅草寺に並んだ事があるので勿論覚悟はしてましたが、それにしても凄い行列でした。

という訳で、最後の二か所でお参りできない、という何かスッキリしない、中途半端な結末となってしまいました…。そのせいなのか、単純に長い距離を歩いたせいなのか、結構クタクタになってしまいましたよ。

でもまあ、片手袋的には大満足の結果に終わりましたし、年が明けて皆が何となく晴れやかな顔をしている中を歩くのってすごく楽しかったです。

「片手袋的に幸先の良いスタートを切れたぞ!」

初めての片手袋探しツアーに向けて、確かな手ごたえを感じた僕なのでした。

(『七福神巡りと片手袋探しの記2017②~「片手袋GO」編~』に続く)

P.S 七福神終わった後も、浅草にはそりゃあもう大量の片手袋が…、

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2017年1月 5日 (木)

『アル・箱根』

正月休みは箱根に行ってきましたよ。

片手袋とは日常生活の中で出会う、というのを大事にしているので、逆に言うとどうしても同じような場所での出会いに固定化されてきてしまいます。なのでたまの旅行は片手袋研究にとって貴重な機会です。

朝早く東京を出発し、小田原駅構内の喫茶店で小休止をしたのですが、横のテーブルのお客さんが座席確保に使った手段が…

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片手袋!これはこの旅の成功が早くも確証されたようなもの。

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箱根に着いてまず向かったのは大涌谷。登山鉄道やロープウェイを乗り継いで徐々に高度が上がっていきますが…

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大涌谷到着間際で見事な富士山が姿を見せてくれました!

余談ですが、1月2日は千葉県内房に行ってたんですね。そこで毎年恒例になってる、とある砂浜での片手袋探しをしてたんですが、

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その時撮ったこの写真、後ろにうっすら富士山が写ってるのが分かりますかね?それからわずか二日後に、これ程大きな富士山を見られたので不思議な気持ちになりました。

話を戻しまして、大涌谷に到着して駅から出た直後の事。階段になんと介入型の片手袋発見!

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いや、やっぱりこんな場所にもあるんですね~。

っていうか冬場の大涌谷、物凄く片手袋が発生しやすい場所なんですわ。ここの名物は温泉地ならではの「黒たまご」なんですが、あちこちで皆が食べてる訳です。

で、冬場なんで皆手袋をしてるんですが、当然殻をむく時はそれを外してます。隣で食べてた外国からの観光客を見てたら、片方だけ外した手袋をベンチに置いてるんで、胸のドキドキが止まりませんでしたよ。まあ、その方はその手袋を忘れずにちゃんと持ち帰ってましたが。

だから多分、冬場の大涌谷は一日で結構な数の片手袋が発生してると思いますよ。

そんな新たな片手袋スポット発見に満足し、大涌谷を後にしよう…と思ったら、

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なんと先程の階段の片手袋が、僅か数十分の間に何故か移動してるではありませんか!流石の僕も理由は全然分かりませんでしたが、放置型になったり介入型になったり場所が移動したり、一つの片手袋が辿る運命は決して固定化されたものではないことを再認識しました。これを動的平衡というんですね(多分違うと思う)。

その後は宿へ向かう前に、箱根彫刻の森美術館に寄ってみました。よくテレビでは見ますけど、行ったのは初めてです。

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本当に敷地内に彫刻ばかりが沢山展示されてるんですね~。お馴染みの作家の作品から全く知らなかった作品まで沢山堪能しましたが、僕の心を最も動かしたのはこちらの作品でした。

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宿では食事や温泉を堪能しましたが、何より片手袋的に新鮮な出会いを経験できたのがこの旅行最大の収穫でした。

やはり、たまには新たな土地に出向いて新たな片手袋と出会うべきですね!これからも旅行は大事にしていきたいと思います。

…俺、どこに行っても結局やってる事は一緒じゃね~か。

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