« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »

2017年8月

2017年8月30日 (水)

『夏場の介入型』

2017

夏場でも片手袋は沢山落ちてますし、こういう介入型片手袋と出会うこともあるんですよね。

しかし、油断はしていないつもりですが冬場ほど目が介入型に慣れていないこともあり、自転車で通り過ぎてからだいぶ経って、

「さっきのはもしかして…」

と引き返して撮ったのでした。なんとか面目を保ちましたね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月23日 (水)

『高速道路、それは罪悪感へ続く道』

夏休み。久しぶりにレンタカーをして、内房まで遊びに行ってきた。

楽しい予定の筈。しかし僕は出発前から気持ちが重かった。何故か?そう。『高速道路の片手袋問題』である。

高速道路の片手袋。他のどの種類より量が多い筈なのに、落ちている場所、そして運転中という僕の状況、その二つが組み合わさって今まで一枚も撮れていない片手袋達だ。

東京から内房に向かう首都高。そしてアクアライン。あるわあるわ、ゴム手袋類や軽作業類の片手袋。

目的地に近づくにつれ、はしゃぎ始める家族。それと正反対にどんどん心が重くなっていく僕…。

片手袋研究家。それは夏休みの当り前の楽しみも許されないさだめ。

今日はアップできる写真は一枚もない。高速道路の落下物を回収する職業があると聞く。今、僕の頭にある単語が浮かんでいる。

「転職」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月18日 (金)

『カーテンを開いて』

カーテンの向こうに隠れた君は、少しだけ恥ずかしそうだった。

Img_5127

そおっとカーテンを開け覗き込んだ僕を、君は口をとがらせながらも優しい目で見てくれたね。

Img_5128

ディスポーザル類放置型片手袋。僕と君の、夏の終わり。

(こいつ、いよいよどうかしてきたぞ…)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月14日 (月)

村上春樹『アフターダーク』の片手袋、または片手袋的読み解き

9784062755191_w

村上春樹の『アフターダーク』を読んでいたら、以下の文がありました。

「路上にはいろんなものが散乱している。ビールのアルミニウム缶、踏まれた夕刊紙、つぶされた段ボール箱、ペットボトル、煙草の吸い殻。車のテールランプの破片。軍手の片方。
(『アフターダーク』村上春樹、講談社文庫P.209)

軽作業類放置型道路系片手袋ですね。

_555555_ Img_4081 Photo

村上春樹が道路の落ちているもののラインナップに片手袋を入れている事が嬉しかったのですが、本作を読み終わってみると案外もうちょっと深い部分に片手袋が関わってる気がしました。

本作には片手袋だけでなく、手袋の描写が幾つか出てきます。他にも「姉妹や父子」「鏡の中と外」といったように、対になるものが多く登場します。そしてそれらは時に、

・そばにいたくても離れていってしまう
・離れたくても逃れられない

という相反する状況下に置かれています。僕が片手袋研究家だから特殊なんですが、こういう描写を見るとどうしても、道端に忘れられた放置型片手袋や、拾われた介入型片手袋を思い出してしまいます。

Photo_2 Photo_4 2

物語の後半、幼いころに父親が一時期刑務所に入ってしまい離れ離れになった経験を持つ高橋が、このような独白をします。

「つまりさ、僕はそのときこう感じたんだよ。お父さんはたとえ何があろうと僕を一人にすべきじゃなかったんだって」
(『アフターダーク』村上春樹、講談社文庫P.214)

高橋は父親が刑務所から帰ってきてからも、何故か心の底から安心することは出来なくなってしまいます。

僕は落とした片手袋が再び手元に戻ってきた経験はないんですが、前から感じていることがあって。

Photo_5 Photo_6 Photo_7

介入型片手袋が無事落とし主のもとに帰ったとして。一定期間、自分の手元から離れてしまった手袋に対して、持ち主は再び「自分のものだ」という感覚を持てるのか?なんとなく自分の知らない世界を見てきてしまった手袋に対し、違和感を抱くのではないか?

高橋が父親に抱いた違和感は、まさにこういった感情だったのではないか?そして、その感情に苦しめられているのは主人公であるマリも同じなんですね。

マリと姉のエリは幼少期、エレベーターに閉じ込められてしまう経験をしますが、その時に二人の距離は最も近くなる。しかし、それ以降その距離の近さを経験することは二度となく、二人の関係は壊れて行ってしまう。

Img_3794 Img_3791 Img_3793

これ、以前目撃した例なんですが、わずか10mほどの距離を置いて、もともと一組だった手袋がそれぞれ介入型と放置型の片手袋になっていたんです。

もともと一組だった手袋が、片方は拾われて目立つ場所に置かれ、片方は地べたに放置されている。まるでマリとエリのようです。

しかし『アフターダーク』では、どうしても近づけない事とどうしても逃れられない事に善悪の区別を付けていないような気がします。中国人に付け狙われる白川、何かから逃げようとしているコオロギは不吉な未来を纏っていますが、マリがあの晩高橋やカオルに何故か出会ってしまったことは少しだけポジティブな変化をマリに与えているような気がします。高橋が父親に、マリが姉に近付けないことは同時に、彼や彼女に別の生き方を与えたようにも思える。

そして大事なのは、「片手袋が放置型か介入型か?」というのは僕がその片手袋に出会った瞬間の判断でしかないように(一つの片手袋が放置型になったり介入型になったりすることは間々ある)、人の一生において誰かと誰かの距離なんて変化し続けていくものだ、ということ。

この小説に時々挟み込まれる第三者的視線は、それを思い起こさせるためにあるような気がします。

「私たちの視点は架空のカメラとして、部屋の中にあるそのような事物を、ひとつひとつ拾い上げ、時間をかけて丹念に映し出していく。私たちは目に見えない無名の侵入者である。私たちは見る。耳を澄ませる。においを嗅ぐ。しかし物理的にはその場所に存在しないし、痕跡を残すこともない。言うなれば、正統的なタイムトラベラーと同じルールを、私たちは守っているわけだ。観察はするが、介入はしない」
(『アフターダーク』村上春樹、講談社文庫P.41-42)

他人の人生の緩やかな変化に僕が手を加えることはしたくないので、「出会った片手袋には触らない」というルールを自分に課しています。僕はあくまで観察者なのです。そんな心持を上記のような文章は完璧に言い表しています。

たった一か所片手袋に触れている事から想像を膨らませてしまいましたが、本作品には片手袋研究を考える上で重要なヒントがたくさん詰まっておりました。

なんとなく不吉で重苦しい作品ではあるのですが、読後感は意外にも爽やかな物でした。本当のところ、作者が描きたかったのは東京の夜の闇ではなく、『アフターダーク』、つまり夜明けだったのかもしれません。

そうそう。先程紹介した介入型と放置型、別々の運命を辿っていた手袋。放置型の方の片手袋があった場所を後日通りかかったら、

Img_3974

介入型掲示板系に変化してました。片手袋の、人の辿る運命は複雑ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月 8日 (火)

『後楽園で発見!こんなところに片手袋』

先日、後楽園遊園地で遊んできました。

刺すような日差しの下、久しぶりに訪れる後楽園。子供の頃の記憶が蘇ってきたりしてとても楽しかったのですが、パラシュートの乗り物ごときで大絶叫してる自分に驚きましたよ。昔はジェットコースターが大好きで、何回繰り返しで乗っても大丈夫だったのに。

というわけで、子供の頃は見向きもしなった緩い乗り物がとても有難いのです。ゆっくり進むトロッコがあったので、「こんぐらいがちょうど良いや!」と列に並びます。

Img_5073 Img_5074

レバーを上下させて進むのです。

Img_5071

「さ、頑張るぞ!」と進み始めて僅か五秒。

Img_5069

出た~!なんでこんな所に!

よく見ると奥の方でトロッコの修理をしている作業員の方がいらして、たぶんその方が落としたのかな?と。

それにしても、レバーの上下運動を奥さんに任せ放棄し、片手袋撮影に夢中になっていたんですけど…。久しぶりに片手袋活動に対して嫌な顔をしている奥さんを見ましたね。

「いや、あんた。それなりに大変なこの作業を私だけに任すわけ?」

という感じの。でもね、私は「片手袋研究という名のトロッコ」を少しでも前に進ませることを最優先にしてるんで。改めてその辺の心境をちゃんと察して欲しいと思いましたわ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月 5日 (土)

『築地場外の火事に思う』

築地場外で大きな火事がありましたね。

僕が毎週一回築地に通い始めてもう17年くらいになるんですが、ここ数年だけでも三回くらいニュースになるような火事がありました。

片手袋研究においても個人的な思い入れにおいても大事な場所ですから、そのたびに胸を痛めてきました。どれだけ通っても毎回路上観察的な発見がある場所です。失われてよいものなんて一つもありません。

移転が本決まりになってから(その後、まさかここまで色々問題が起こるとは思っていませんでした)、意識的に片手袋だけでなく築地のなんてことない風景を撮り溜めてます。

あの場所に東京の食を支え続けた市場があった、という大きな歴史は残るでしょうが、そこにあった壁のシミや錆びた階段、年季の入った看板なんかは忘れ去られていく筈。だからせめて僕だけでも、そういう歴史の隅に追いやられてしまうような現象を記録しておきたくて。

Img_4747 Img_4718 Img_4684_2

豊洲に移転しても場外は残るので、「記録は場内だけで良いな」と思っていたのですが、今回の火事を見て、やはり場外も記録していく事を決意しました。

まあ僕一人で満足のいく形で記録を残すのは到底不可能なので、本当は路上観察に興味のある人達にも協力して欲しいのですが、何しろ時間がありません。とりあえず見切り発車でも出発してますんで、もし興味ある人がいれば連絡くださいね。一緒に路上観察的な視線で築地を記録しましょう!

Img_4752

勿論、僕のメインはこいつなんですが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月 2日 (水)

『食や物流や土木の裏に片手袋あり!』

Photo

上野公園で掃除をしている方たちの休憩中、片手袋が発生しておりました。

休憩時間の間だけここに挿しておいたのでしょうから、介入型でも放置型でもなく、実用型かな?

Photo_2

でもこの片手袋を見て改めて思ったんですけど、「作業、仕事の裏に片手袋あり」ですよ。

1

頻繁に紹介している築地の片手袋だって、河岸の方達が忙しく働いているから発生する訳です。

Photo_3

唐突に路肩などに発生する片手袋だって、おそらく配送業者の方や物流関係の方が落としていったものも多いのではないでしょうか?

Img_0838 Img_0837

二年位前、「国立競技場の場所に何もない状態を見られるのは今しかない!」と思い、散歩しに行ったのですが、

Img_0836

当たり前のように工事現場の近くに作業用片手袋が落ちていました。

食に物流に建築。私たちが快適に暮らすために必要なものを支えている人達を、私たちは普段全く意識していない。偉そうなことを言える筈もなく、僕もそうやって生きてしまっています。

でも、片手袋を通した時だけそういう現実に思いを巡らせることが自然に出来るから不思議です。

そして最近新国立競技場の現場で起きた事などを考えると、それはやはり必要な瞬間なんじゃないかな?と思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年7月 | トップページ | 2017年9月 »