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2017年3月

2017年3月30日 (木)

『真夜中のテレフォン』

先日、「公衆電話周辺は絶対に片手袋が発生しやすそうなのに、何故か見た事がない場所である」という記事を書きました。

十数年に及ぶ片手袋研究で、公衆電話周辺の片手袋は一度も見た事なかったのですが、先日遂に知り合いが写真を送ってくれました。

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一度見つかると立て続けに出現する、という事が今までにもあったので、最近はさらに注意深く公衆電話周りをチェックしていました。そしたら!

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うん?外かぁ~…。僕が見たいのは電話BOXの中なんですよね。これでは電話を掛けた人と片手袋の持ち主の因果関係が特定できませんからね。

もう桜も咲き始めてますが、万が一に備えて引き続きチェックを継続していきたいと思います。

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2017年3月27日 (月)

『片手袋を題材にした新たな絵本を発見!~てぶくろくろすけ~』

片手袋が話の主題になっていたり、片手袋が登場したりする作品は古今東西あらゆるジャンルに存在しています。それらを収集するのも片手袋研究家の大事な役目です。

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それらをまとめた上の図を見て貰うと、片手袋にまつわる絵本の多さに気付いて頂けると思います。

・そもそも僕が片手袋に興味を持ったきっかけは、小学校一年生の時に出会ったウクライナの絵本『てぶくろ』である事は何度もお伝えしてきました。

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『てぶくろ』(福音館書店)

当ブログでの紹介記事はこちら。

・アカデミー賞にノミネートされた事もある山村浩二さんが絵を手掛けた、『カタッポ』という作品もあります。

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『カタッポ』(福音館書店)

当ブログでの紹介記事はこちら。

・アメリカにも『てぶくろがいっぱい』というふたごと沢山の片手袋のお話がありますよ。

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『てぶくろがいっぱい』(偕成社)

当ブログでの紹介記事はこちら。

・北欧ノルウェーからは『キュッパのはくぶつかん』。こちらは片手袋がメインではありませんが、注意して絵を見て貰うと沢山の片手袋が描かれています。

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『キュッパのはくぶつかん』(福音館書店)

当ブログでの紹介記事はこちら。

・さて、今日の本題。またまた片手袋絵本を見付けてしまいましたよ!しかも発行は1973年。40年以上も前の日本の絵本です!

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『てぶくろくろすけ』(福音館書店)

手袋の一家ではみんな右と左が一緒になって眠っていました。手袋のくろすけは、片一方だけで部屋をぬけだし雪野原で遊びまわるうち、坂道をすべりおち“てぶくろこどもこうえん”に着きました。そこではたくさんの手袋の子どもたちが遊んでいましたが、みんな左右いっしょで、ひとりだけのくろすけは仲間に入れてもらえません。長新太が手袋の世界をシンプルな配色で描きます。(福音館書店のサイトより)

てぶくろくろすけ君のいたずら心から始まる冒険譚です。今までご紹介した中では『カタッポ』に近いですね。でも『カタッポ』は悲しいような温かいような結末を迎えますが、こちらはもう少し楽しい感じのお話。

でも、あの長新太が絵を手掛けていますので、楽しいながらも全体的に不思議な雰囲気(うっすらと怖さすらも)が漂っているんです。なんというか、『おしいれのぼうけん』っぽい感じ、と言いますか。

とても幻想的な魅力を持った作品なので皆さまにも読んで頂きたいのですが…。残念ながら「こどものとも」という福音館が月刊で出している絵本シリーズ、しかも40年以上前の作品ですので、手に入り辛いとは思います。でもAmazonでは若干中古で手に入るみたいなので、気になる方はチェックしてみて下さい。

それにしても、なぜ片手袋は絵本作家を惹きつけるのか?やはり片手袋の不思議な存在感が、物語の創作意欲に火をつけるのでしょうね。

今後も片手袋と絵本の関係は探っていきたいと思います。

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2017年3月26日 (日)

『片手袋は懐中電灯だ』

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先日、有楽町で伝説の台湾映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を見てきました。映画の内容は公式サイトを見て頂くとして、この映画、上映時間が四時間なんですね。しかも休憩も無しというガチンコ興行!

でも飽きるどころか、一瞬たりとも無駄なカットがない恐ろしいほどの傑作でした。長年再公開を待ち望んでいた甲斐がありましたよ。

六時半から始まって、終わったのが十時半。カレーを食べて駅に向かえば、周りはもうほろ酔いの方達ばかり。そこに現れたあいつ。

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四時間座りっぱなしだったので持病の腰痛が悪化していたのですが、何とか腰をかがめて撮りました。

思えば『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』には、印象的な夜のシーンが多数ありました。主人公の少年が懐中電灯を常に持っていて、闇に向けて光を投影するのです。それは行き場のない子供達が進むべき道を示す唯一の光だし、映画そのものの象徴でもありました。

夜の有楽町。賑わう人々の中で一人だけの僕に、道を示してくれる片手袋。

片手袋は僕にとっての懐中電灯だ!

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2017年3月23日 (木)

『表に出たら二秒で片手袋』

映画が好きなので、日比谷や有楽町によく行きます。

地下鉄を降りて地上に出る時、日比谷みたいな大きな駅は幾つも出口がありますよね。雨が降っている時などは目的地に出来るだけ近い出口を選びたいですが、晴れてればまあ別にどこでも良い訳です。

でもね。なんかこう、ビビッと直感が働くんです。

先日、いつもは使わない出口から地上に出たところ、

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はい、目の前に片手袋!こういう事がね、少なくないんですわ。さすがに「持ってるな、俺」と思ってしまいますよ。

…もうちょっと大きな事で持っている人間になりたかった、というのが本音ではあります。

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2017年3月22日 (水)

『平行・垂直』

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地面に近いけど、おそらく放置型でなく介入型。

煉瓦ブロックに対して垂直でなく平行に置いてあげたことで、何だか一直線に伸びていく前向きさが感じられます。

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過去の画像を見返してみると、ブロックに対して平行に置いてあげる例の方が圧倒的に多いですね。

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目立たせる、という意味では垂直に置いた方が良いような気もしますが。やはり人間は自然と納まりが良い方を選んでしまうのでしょうか?

片手袋自体細かすぎる着眼点かもしれませんが、「平行か垂直か」というさらに細かい所にも注目すると面白いのです。

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2017年3月20日 (月)

『3m下にある片手袋』

今日、とある駅の前で待ち合わせをしていた。相手が来るまでボーっとしていたのだが、駅前の景色を眺めていて何かオーラを感じた。

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このような感じ。地面から底上げされて建てられた駅舎と外の道路にある隙間。

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※反対から見た感じ

放り投げられたたばこの吸い殻や空き缶、ビニール傘が散乱している雑多な風景。しかし僕は直感した。

「この散乱したゴミの中に片手袋がある筈!」

駅から出て鞄から出した手袋を歩きながら装着…の最中に誤って下に落としてしまった人が絶対にいる筈だ。待ち人はまだ来ないので、下を覗き込んでみる。

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「あ!」

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「やっぱりあった!」

ファー付きの高そうな片手袋。直感は正しかった。横に移動しながら、なおも観察を続ける。

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画像では分かり辛いが、二つも片手袋が落ちている。しかも、どれもファッション類。これは捨てられたのではなく、やはり誰かが誤って落としてしまったのだろう。

当然下に降りていって撮影する事も考えたが、

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立ち入り禁止のフェンスが設けられ、それは出来なかった。しかし片手袋がある、という直感が正しく働いた事に気を良くした僕は、待ち人が既に到着している事にすら気付かないのであった。

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2017年3月18日 (土)

『移調』

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背景にまだ散る前の鮮やかな銀杏。

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銀杏が散り始めた頃。銀杏の絨毯のようでこれはこれで綺麗。

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散ってから暫くすると雨などでぐちゃぐちゃになり汚くなってしまう。

片手袋の写真フォルダを見返していたら、銀杏ってちょうど冬型の片手袋の移り変わりと併走している植物なんだな、と思いました。

こちらは番外編。

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一年中散る事のない銀杏と片手袋です。

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2017年3月16日 (木)

『片手袋、そして終わりのない考察』

ここのところ、日々出会ってる片手袋の報告みたいなのを敢えて避け、片手袋に関連する考察や問題的等を多めに書いてました。

というのも、もうすぐ冬の片手袋シーズンは終わりますが、当然それ以外の季節も片手袋研究は続くのです。それは軍手やゴム手袋なんかは季節問わず落ちている、という事もありますし、片手袋を深く深く掘り下げて考えるのに季節なんか関係ないからです。

春の到来に備えて(もう春なのかな?)それを確認しておきたく、最近は映画や片手袋に関する根本的な疑問について書いていました。

とはいえ、日々出会ってます。

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これは築地の場内と場外を繋ぐ海幸橋で出会った“ファッション類介入型フェンス系片手袋”です。しかし翌週、

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はい、増殖してました。こういう風に、一つ片手袋が発生すると他の片手袋を誘発してしまう事がありますね。特に介入型は。

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で、こういう現象は冬にしか見られないかもしれないが、こういう現象がなぜ起きるのか考える事はいつだって出来る、という事が本日言いたかったのです。

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2017年3月15日 (水)

『お嬢さん』と『アナ雪』を繋ぐ手袋演出

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韓国映画、『お嬢さん』を見てきました。

TBSラジオのたまむすびという番組で、映画評論家の町山智浩さんが薦めてたので気になっていたのですが、いや~、あらゆる意味で物凄い映画でした。

TOHOシネマズのサイトよりストーリーを転載しますと…

舞台は1939年の朝鮮半島。支配的な叔父と、膨大な蔵書に囲まれた豪邸から一歩も出ずに暮らす華族令嬢・秀子(キム・ミニ)のもとへ、新しいメイドの珠子こと孤児の少女スッキ(キム・テリ)がやってくる。実は詐欺師一味に育てられたスッキは、秀子の莫大な財産を狙う“伯爵”(ハ・ジョンウ)の手先だった。伯爵はスッキの力を借りて秀子を誘惑し、日本で結婚した後、彼女を精神病院に入れて財産を奪う計画だ。だがスッキは美しく孤独な秀子に惹かれ、秀子も献身的なスッキに心を開き、二人は身も心も愛し合うようになってしまう……。

しかし、このあらすじから想像し得る作品像の300倍くらい不思議で妖しく、笑ってしまう程エロティックな作品でした。取り敢えず世界中で日本人が一番気まずい気持ちになる映画、とだけ申し上げておきます。まさか映画館で“あの単語(しかも日本語)”を何度も耳にする事になろうとは…。

昨年刊行され三島由紀夫賞受賞会見が話題になった、蓮實重彦の『侯爵夫人』との奇妙な符合など語りたい事は山ほどありますが、それより何より手袋ですよ!

実は先程のラジオ番組で町山さんは「アナ雪みたいな展開になっていくんです」と言っていたのですが、それが全然冗談じゃなかったのです!

勿論、描き方こそ100億光年くらいかけ離れた両作なのですが、根底にあるテーマは確かに重なるのです。何しろ、劇中で手袋が果たす役割が物凄く似てるんですよ。

映画が始まって割とすぐ、お嬢さんの部屋にある箪笥が手袋でびっしりと埋め尽くされているのが映るんです。それを見て片手袋研究家としては、「あれ?」と反応したのですが…。結局映画の最後まで手袋は重要な意味を持たされていました。まあアナ雪とは違って、『お嬢さん』は片手袋というより手袋なんですけどね。

つまり『アナと雪の女王』も『お嬢さん』も、手袋は抑圧された「女性性」や「他者に本心を悟られないようにする為の心の壁」みたいなものの象徴なんですよね。(詳しくは以前、アナ雪の手袋について解説した記事をご覧下さい)

それを踏まえて、映画鑑賞後にこの映画のポスターを手袋に注目して見てみると、色々な意味が隠されていた事に気付きます。

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映画において衣装が登場人物の心情などを象徴している、というのは珍しくないのですが、その中でも手袋は性的な意味を持たされる事が多いように思います(古くは『ギルダ』や『ローズマリーの赤ちゃん』、最近では『キャロル』なんかを手袋に注目して見て下さい)。

それが何故なのか?という事を調べる事は、実は片手袋研究においても非常に重要である、と最近気づきまして。その理由に関してはまた別の機会に書いてみますが、とにかく片手袋研究はまた一つ大きな課題に直面してしまいました。つまり「やはり片手袋を知るには、手袋そのものについての研究もしなければいけない」という大き過ぎる課題に…。

話は逸れましたが『お嬢さん』、とても面白かったです。R18作品である事からそれ相応の覚悟を必要とするのは察して頂けると思いますが、もしご覧になる方は手袋に注目してみて下さい!

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2017年3月13日 (月)

『戻り片手袋』

季節ってある日突然変わってしまう訳ではなく、徐々に徐々に変化していくものですよね。今は冬でもなく春でもない。そんな日々が続いています。

むしろ日毎というより一日の中で季節が変わっていく感じで、朝晩はまだまだ寒いですが、日中は上着を投げ捨てたくなる位暖かい時もあります。そのせいか、最近は夜に片手袋と遭遇することが多いです。

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先日出会ったこの凄く厚手の暖かそうな片手袋。魚で言えば餌を沢山食べて脂がたっぷりのった戻り鰹のようなものです。

片手袋を魚で例える意味があるのかどうか、私にも分かりません。

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2017年3月11日 (土)

『六年』

あれから六年。毎年この日は、震災直後に書いた記事を再掲載しています。

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これは僕が“介入型”と呼んでいるタイプの片手袋です。

落ちている片手袋に気付き、見つかりやすい場所に移動してあげた誰かが存在する。

そうして生まれるのがこの“介入型”の片手袋なのです。

我々には有事ではなく普段から、このようなちょっとした、でもとても重要な心の優しさが備わっています。そう信じています。

ましてや過去最大級の有事が起きている今この時。

批判や言い争いや怒りはひとまず置いておいて、正確な情報や落ち着いた行動に基づく優しさを発揮しましょう。

僕自信、自分に出来る事は何か、冷静に考えてみます。

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六年が過ぎました。果たしてもうあの震災に対して何か区切りはついたのでしょうか?

例えば今日。まさにこの「3.11」という日をどういう風に迎えるべきかで、様々な意見が対立しているのを見掛けました。

「この日だけはあの惨劇をもう一度思い出そう」
「3.11だけ思い出すのではなく、毎日の暮らしの中で考えていかなければ」
「被災地の人間からすれば、毎年毎年津波の映像とか流して欲しくない」
「いつも通りにしてれば良いんだよ」

あれ以来、決して埋まる事のない溝や対立をあまりにも見慣れてしまいました。

僕個人は、こうして六年前に書いた記事を毎年再掲する事で、あの日感じた恐怖や大切な人を守らなければ、という純粋な気持ちを思い出すようにしています。

震災以降に発生したあらゆる対立や問題は解決するどころか、日常の中にのっぺりと浸透して定着してしまったようにも感じられる昨今。しかし、3.11で亡くなった方やご遺族の事を思う時に湧きあがってくる感情くらいは、皆で共有出来るものではないでしょうか?

そういう意味では、この3.11という日はこれから何年経っても、やはり重要な日なのだと思います。

東日本大震災でお亡くなりになった方々やご遺族に心よりお悔やみ申し上げます。

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2017年3月10日 (金)

『ここで逢いましょう、築地で』

築地、どうなっちゃうんですかね?

十五年以上も通ってるので、そりゃあ、あの場所に対する思いは特別なものがあります。片手袋の聖地だという事は抜きにしても、大好きな場所です。

移転が決まってから(このような事態を想定していなかったので)、片手袋だけでなく築地の何てことない風景も撮るようにしてました。場内、場外問わずです。

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そしてどんな時でも当然のように僕を出迎えてくれる、築地の片手袋。

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先は全然読めないけど、築地の片手袋と築地の日常風景。この二つはこれからも許される限り記録し続けていきます。

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2017年3月 9日 (木)

『境界線上のありゃあ?』

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今日、駐輪場に「手から手首辺りを覆う何か」が片方介入されてました。これは何に使うものなのでしょうか?手袋と言って良いものなのでしょうか?

そう言えば昔、

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東京ドームホテルの地下駐車場に、タイガースのリストバンドが落ちていました。これを見た時、「リストバンドは手袋ではないよな。でも手首と手の境界ってどこからなんだろう?肘辺りまで覆う日焼け防止の手袋があるけど、あれは手袋だもんな」と不思議に思いました。

まあ、リストバンドを手袋に入れるのは無理があるとしても、

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11年の片手袋研究生活で二回だけであった、「手袋の指だけ」は果たして手袋なのでしょうか?片手袋ではないにせよ、「十分の一手袋」と言えるのでしょうか?

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あと、グローブが介入されているのも見た事があります。これは限りなく手袋に近いブルーですよね?「手を保護する為に覆う革製の袋状の物体」ですよ?それはもう手袋でしょう?でも問題は、グローブは片方だけで使うものだという事。だとすると片手袋の分類上では「実用系」に入るんでしょうか?

数日前、「揃いと片方を区別するのは案外難しい」という事を書きましたが、それどころか「手袋とは何か?」を定義すること自体難しいなんて!

でもどんなジャンルもそうですけど、面白さって境界線上にこそ詰まってる気がします。分かっているつもりになっている事すら揺るがしてくる境界線上の存在。大事にしていきたいです。

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2017年3月 6日 (月)

『ついに出た!』

片手袋が発生しやすい条件を考えてみると、真っ先に「手袋を着脱する機会の多い場所」が思い浮かびますよね?で、具体的にそれはどういう状況かと考えてみれば、一番分かりやすいのは「手先を使って細かい作業をする場所」や「お金のやり取りが多い場所」だと思います。

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小銭やICカードの出し入れが必要なバス停に片手袋が多いのも、まさにそういった理由ですし、

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銀行のATM周辺に片手袋が多いのも納得できます。

しかし、片手袋研究を始めた11年前。真っ先に片手袋多発地帯であろうと予測したのは、「公衆電話」でした。小銭が必要だし、ボタンを押したり細かい作業も必要ですからね。

ところが…。

11年間、公衆電話を見掛ければ必ずチェックしていたんですが、なんとただの一度も片手袋と遭遇したことがなかったのです!

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かわりにイヤーマフの忘れ物はありました。これはこれで、公衆電話に忘れてしまったのが大いに理解出来る逸品でしたが。

片手袋研究の歴史は、当初思い描いていた想像や理屈が覆されていく歴史でもありました。「冬しか片手袋と出会わないのかな?」とか「人が足早に行き交う渋谷などでは介入型片手袋は発生し辛いのかな?」とか、安易な仮説は悉く地道な観測の前に覆されていきました。

公衆電話周辺に片手袋は沢山あるに違いない。これも覆されてしまったわけですが、そうすると今度は、「何故公衆電話には片手袋が発生しないのか?」という事を考え始めていたのです。しかし!

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先日、ご近所さんが見付けてしまったのです!僕はこの写真を見て本当にビックリしてしまいましたよ!

さあ、これで少なくとも一枚は見つかった訳です。そうすると、単に僕一人のフィールドワークでは出会う事が出来なかっただけなのか、やはりこれはレアケースで公衆電話周辺は片手袋が発生しにくいのか、分からなくなってきました。

答えはまだまだ出せそうにありませんが、公衆電話を見掛けたらチェックしてみる習慣はやめられなくなりましたよ。

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2017年3月 4日 (土)

『今夜放送!アナと雪の女王は片手袋(もしくは手袋)に注目して見ると、本当に100倍楽しめるぞ!』

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本日3/4、21時からフジテレビで『アナと雪の女王』が地上波初放送になります。

本作において、手袋の演出というのが非常に大きな意味を持っています。それは「寒いシーンでは手袋をしていて、室内のシーンなどは外している」という単純な意味を超えて、明らかにそこには様々な意図が込められています。

それどころか最初に劇場で見た時から思っていましたが、この映画は少なくとも前半30分は片手袋を中心に物語が動いていくんですよ!冗談だと思われるかもしれませんが、その理由を解説してみたいと思います。

①エルサの手袋がいつ外れるのか、何故外れるのかに注目してみよう!

エルサは自分の能力を封印する為に、幼少の頃に経験したある事件以降ずっと手袋をしています。

しかし、大人になったあるタイミングでアナが片方だけ外してしまいます。アナがエルサの手袋を片方外す、という事の裏にはどんな意味があるでしょう?

そして片手袋だけの状態になったエルサは、雪山でもう片方も空に放り投げます。彼女が手袋と共に放り投げたものは何なのか?まさに数年前、何百回と聞いた『Let it go』のサビに入る瞬間ですのでお見逃しなく!

※幼少時のエルサに手袋を嵌めたのは両親です。それを考えると、公開時に本作はよく「社会に抑圧されている女性が解放されるまでの映画」と言われていましたが、「子供が成長し、両親の呪縛から解放される映画」と見る事も出来るでしょう。

さて、ここまでで約三十分。でもここからは(いや、実はもっと前から)片手袋と言わないまでも、『アナ雪』は手袋をめぐる演出が冴えわたっている映画なのです!

②『アナ雪』において手袋はその人の心の壁を表している

これは特にエルサとハンスに顕著な演出なのですが、手袋は二人の心の動きを表しているんですよね。

先程も述べたように、幼少の頃からエンディングまで、エルサが素手なのか手袋をしているのかに注目してみて下さい。それは見事にエルサの心の動きと呼応しています。「ありのままで」と歌う瞬間に片手袋を放り投げるのですから、そこから逆に手袋がエルサにとって何を意味していたのか分かると思います。

ハンスは登場時からずっと手袋をしています。でも後半、暖炉のある部屋で片手袋を外すんですよね。それは彼の隠された本心が露になるタイミングと呼応しています。さらに言うと、この時ハンスが外すのはあくまで片手袋です。彼が最後まで外さなかったもう片方の本当の内面、それは案外臆病で自信を喪失している男の姿かもしれません。

「片方だけ外す」というのはエルサもそうです。彼女の手袋はアナによって片方外され、もう片方は彼女自身が放り投げます。つまり、両方自分の意思で外した訳ではありません。

「ありのままで」と歌いながら、彼女はむしろ自分の心を閉ざし氷の城に立て籠もってしまうんですよね。この時点の彼女はハンスと同様、まだ片方しか自分の本心を解放していないように思います。

③『アナ雪』において、手袋は人間関係を表している

物語冒頭、幼き日のアナとエルサは二人とも手袋をしていません。しかし、いつしかエルサは常に手袋をするようになります。それをアナが片方外してしまった事から物語は動き出します。

でも、再び二人共に素手で向かいあう事はなかなか出来ません。二人は幼少の頃のように、再び素手で手と手を取り合う事が出来るのか?というのはこの物語において大きなポイントです。是非この点にも注目して下さい。

物語の中盤はアナとクリストフが中心になって進みます。実はクリストフは(冒頭の幼少時を除いた)初登場時から、アナに素手を見せているんです。ギターを弾いているシーンですね。クリストフは最初からアナに本当の姿を見せていたのです。

一方、いきなり恋に落ちてしまったアナとハンスですが、ハンスはアナに素手を見せる事は決してありません。先程も書きましたが、暖炉のある部屋でハンスは初めて片手袋を外します。その時、二人の関係は決定的に変わってしまいます。

手袋を外し素手を見せる事が、本当の姿を見せる事の比喩として用いられる為、それは人間関係が良い風にも悪い風にも変わっていく転機となります。

『アナ雪』は寒い寒い氷の世界のお話ですから、殆どのシーンで皆手袋をしています。しかし最後の最後、アナやエルサ、クリストフの手に注目してみて下さい。それは単なる気候の変化を超えて、きっと彼らの関係性の変化を象徴している筈です。

以上のように、『アナと雪の女王』は徹頭徹尾「片手袋(もしくは手袋)の映画」なのです!「そんなのお前の勝手な思い込みだろう!」と言われてしまうかもしれませんが、アニメというのは実写と違って映っている物は全て意図的に描きこまれているのです。

だから手袋をしているかしていないか、という事にも確実に作者達の意図が込められていると思います。

ここまで断言するのは、登場人物の身に付けているものに意味を持たせるのは映画ではよくある手法ですし、実はディズニー・ピクサー映画には他にも片手袋が登場する作品があるからなのですが、それはいずれまた解説したいと思います。

片手袋研究は、本当にあらゆる事に注目していないとなりませんね。

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2017年3月 2日 (木)

『両手袋も片手袋である、とはどういう事か?』

ポッドキャスト、「オイサオイサで山車ラジオ」に参加して、片手袋研究や路上観察をする上でのジレンマなどを語らせて頂いたのは、以前お知らせしました。

その中で唐突に僕が「両手袋も片手袋である」と言い出す件があるのですが。まあ、我ながら頭おかしいですよね。

でもこの発言、色々と考えた上で僕の中で確立された理論なんですよ。なので今日はそれを説明してみたいと思います。

まず片手袋の話をしたときに結構聞かれるのが、「両手袋は撮らないんですか?」という事です。まあね、片手袋程心から魅かれる存在ではないにせよ、やっぱり撮っちゃいますよね。

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で、両手袋と片手袋の違いを考える時に重要な問題は二つあります。まず一つ目は、当ブログでもたびたび触れている、「手袋と手袋の距離の問題」です。

上の三つの両手袋は右と左の距離が極めて近いですよね。

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ではこれはどうですか?若干距離が離れました。でも、まだ揃いの手袋であることは分かります。

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ではこれはどうでしょう?流石にこれだけ離れていたら、どちらか片方しか見つけられない可能性は大きいです。仮に両方見付けられても、ここまで離れるともはや両手袋ではなく、片手袋が二つ、とならないでしょうか?

しかし、「では両手袋と片手袋二つの境目となる距離は何cmなのか?」という事を厳密に決める事は出来ないですよね。

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こんな風に揃っていても、風が吹いてどちらか片方が離れていってしまえば、いずれは片手袋二つ、になる。つまり「両手袋はプレ片手袋である」と言う事が出来ます。

二つ目の問題です。それはこの片手袋に出会った時に気付きました。

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新品未使用、一回も人間の手に装着されていない片手袋が落ちていたのです。恐らくホームセンターなどで売っている、袋に入った大量の軍手から一つだけ落ちてしまったのでしょう。

「片手袋はどこか寂しい」と感じる方は多いと思います。二つ揃って役割を果たす手袋が片方だけになって無用の長物化している訳ですし、大事にしていたであろう持ち主の手を離れてしまった状態が片手袋なのですから。

でも不思議とこの未使用片手袋からは寂しさを感じませんでした。まず大事にしていた持ち主が不在ですし、そもそもこいつは一回もペアになっていない、対になる相棒がいた経験をしていないのです。

でも、ちょっと待てよ?手編みでもない限り、手袋は機械的に大量生産されているのです。別々に出来上がってきた右と左の手袋を最終的に組み合わせて、販売されるのです(一部の軍手やディスポーザル類など、そもそも左右の区別のないものすらあります)。

つまり、「元々左右揃いだった手袋が落とされて片手袋は生まれるのだから、片手袋は寂しいのだ」というのは人間の勝手な思い込みで、「手袋というのは元々片方だけで生まれてきて、後から揃いになる。落とされて片手袋になるのは元に戻っただけ」という考え方も出来るのではないでしょうか?

この考え方の応用パターンとして、

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意外と元の相方でなくても、もう一つ片手袋がそばにあると寂しさを感じませんし、

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なんなら手袋ですらなくても相方感は出てしまうんですよ。

整理します。

①「揃い」と「片方」を区別するのは意外と難しい。両方揃っていても、それは「プレ片手袋」とも言える

②そもそも手袋は揃いの状態が普通なのではなく、片方の状態が普通なのではないか?だとすると「両手袋は片手袋が二つある状態」なのではないか?

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どうです?もうこの写真を見ても片手袋が二つある、としか思えないでしょう?

…あのですね、片手袋研究だけでも一般性がないのに、「両手袋は片手袋である」とか言い出したら、さすがに自分で自分が心配になってきましたよ。

最後に。こんな僕が心の拠り所にしている歌があります。昨日亡くなったかまやつひろしの『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』です。この歌詞を胸に、僕はこれからも心を強く持ち片手袋の事を考えつくしていきたいと思います。

“君はたとえそれがすごく小さな事でも
何かにこったり狂ったりした事があるかい
たとえばそれがミック・ジャガーでも
アンティックの時計でも
どこかの安い バーボンウィスキーでも
そうさなにかにこらなくてはダメだ
狂ったようにこればこるほど
君は一人の人間として
しあわせな道を歩いているだろう”

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2017年3月 1日 (水)

『小冊子 片手袋研究入門について』

そういえば、一年近く大事な事をこのブログに書いていなかったことに気付きました。

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昨年、手袋製造販売メーカー「ヨークス」さんの2016新作秋冬モデルの展示会に参加させて頂きました。新作手袋が展示されている横で、片手袋写真の展示をしたのです。

仕事の都合で展示会場にいられなかったので、名刺を置いておこうと思ったのですが…。「片手袋研究家 石井公二」と書かれた名刺、何が何だか意味が分かりませんよね?

その時、思い出したんです。岡山で素敵なトートバッグを作ってらっしゃるポール工房さんのブログに、A6判、8ページの小冊子を作る方法が書かれていたことを!

http://letterstosamuel.com/?p=7181 (⇐こちらのページです)

そこで、一冊で片手袋研究の基礎的な事だけは伝わるような小冊子を作る事にしたのです。

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数百部刷ったのですが、おかげさまで展示会の期間中に全てなくなってしまいました。

でもこの初版、致命的なミスをしてしまいまして…。前回の記事でも書いたんですが、地面に落ちているから放置型、というのはとても短絡的な考え方でして。

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ところが私、放置型の具体例として、どう考えても「地面にあるけど介入型」の写真を選んでしまったのです…。片手袋研究家失格ですよ。文春にすっぱ抜かれなかったのが不思議なくらいですよ。

そこで気を取り直して、第二版では写真を入れ替えてまた数百部刷りました。

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しかし…。この写真、何故か左右反転したのを入稿してしまったのです。

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※正しくはこちら

本当に馬鹿ですよね。でもまあ、破棄するのも勿体ないので、泣く泣くこれを配っていたのです。で、この第二版もようやくなくなりました。

そして昨年末、ようやく全て間違いを直した状態で、第三版を刷ることが出来ました。初めてお会いした方や、片手袋関係のイベントの参加者の方にお配りしてます。

手のひらサイズの小冊子ですが、我ながら8ページに片手袋研究が簡潔にまとまってると思います。

基本的には直接お渡しする以外ないのですが、東京都文京区にある「往来堂書店」さんのレジ前と、昨年写真展とトークイベントをやらせてもらった谷中の「ひるねこBOOKS」さんに置かせてもらってます。お近くの方はお立ち寄りの際に是非ご覧下さい。

また、メールで住所等教えて頂ければ郵便でお送りしますので。もしそのような奇特な方がいらっしゃったらご連絡くださいませ!

katateblog@gmail.com 石井公二まで

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