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2015年10月27日 (火)

『先週のタマフルのちば先生』

僕が毎週聞いているラジオ、『ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル(通称タマフル)』。先週のゲストが漫画界の大御所、ちばてつや先生でした。

ポッドキャストもあるのですが、一週間ほどで削除されてしまうと思います。

ちば先生の熱狂的ファンであるという宇多丸さんが、繰り返し述べていたちば作品の魅力。それが「物語が主人公の為に奉仕していない。脇役や背景に描き込まれている人に至るまで、様々な人生を背負っている事を感じさせる」というものでした。

宇多丸さんはその理由をちば先生の思想や倫理観からくるものと考えていたようですが、ちば先生の応えは「楽しいから」というシンプルなもの。つまりモブシーンの背景や人物を色々と想像しながら描き込むのが好きなんだそうです。

この非常に興味深い対談を聞いていて、思い出した人物がいます。このブログでも度々触れていますが、僕が最も敬愛する映画監督、ジャック・タチです。

タチの事を詳しく語り出すと止まらなくなってしまうのでやめておきますが、彼が唱えた理論に「喜劇の民主主義」というものがあります。

タチは「フランスのチャップリン」と呼ばれる事もありますが、チャップリンと決定的に違うのがこの考え方だと思います。つまり、誰か一人の特別な人が面白さを持っているのではなく、人間であれば誰でも面白さを発揮する瞬間がある、という考え方です。

言葉で言うのは簡単ですが、それを映画として作品化するとどうなるか?タチが喜劇の民主主義を究極的に追求した作品が『プレイタイム』という作品ですが、主人公という主人公はいないし、物語という物語もない。しかし画面に映る殆ど全ての人が何かしら妙な動きをしていたり、背景にも様々な仕掛けがしてある。それが二時間程永遠に繰り広げられる、という凄まじい作品なのです。是非是非、一度ご覧になってみて下さい。

本当に有難い事に、最近片手袋研究を取り上げて頂く機会も増えました。そうなってくると、「僕が片手袋研究を通じて伝えたいことって何だろう?」と自問自答したりもしました。でも正直言って、“伝えたい事”なんて無いんですよね。

何か伝えたい、という衝動や欲求があって片手袋研究を始めた訳ではないんです。いつの間にか始めてしまっていたし、理由などなく続けている。

でも、“分かってきた事”はあるのです。それがまさに、ちば先生の作品やタチの喜劇の民主主義に通じる事なんです。

どんな人にも不幸や優しさを発揮する場面が訪れる。また、そういった場面が訪れるまでにも様々な物語がある。そういった“特別ではないかもしれない私達”でも背負っている豊かな物語。それを象徴しているのが片手袋だし、それを紹介する事が個人的な趣味としての片手袋研究を離れた時に僕が意識している事なのです。

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※子供用の片手袋なんて特にそうです。凄く大事にしていて落として悲しんでるかもしれないし、お母さんに怒られてるかもしれない。でもまた新しい手袋を買って貰って喜んだりもしてるかも。色々な物語が想像されます。

間違っても「ちば先生やタチと自分が同じ事を考えてる」などと大それたことを言いたい訳ではありませんが、とにかく片手袋研究を深めていくきっかけは思わぬ所に潜んでいるのです。

それが最大の楽しみなのかもしれません。

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