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2013年8月21日 (水)

『神戸ビエンナーレへの道~その15~』

映画や文学やアート。表現としての質を問われる際に最も嫌われがちなのが、“直接的なテーマの説明”ではないかと思う。

「戦争とは悲劇であると同時に快楽なんだ!」とか「お前の事を一生好きでい続ける!」なんて事を直接的に描いたり書いたりしてしまっては、「いやいや、それを言葉なり映像なりで表現しろよ!」と切り捨てられてしまうだろう。いわゆる“陳腐な表現”というやつだ。

とは言え極めて抽象的な表現をして、「作者の意図に捉われず、自由にメッセージを受け取って下さい」というのも何だか寂しい話だ。

今まで見てきた国際展を通じて思う事がある。僕とは国や宗教や言語や思想や生活にまつわるあらゆる文化が異なる作者の作品の場合、少しくらいはその作品を作るに到ったバックボーンを知りたいのだ。

ヒントも思索のきっかけも与えられなければ、「自由にメッセージを受け取って下さい」どころか、「何にも感じないな…」という事態に陥る事も有り得る。

僕は片手袋をアートとして捉えた事は一度もない。しかし今回、初めて片手袋を多くの方に見て頂くチャンスとなった神戸ビエンナーレは、紛れもなくアートの舞台だ。

アーティストとして活動している訳でもない僕のような人間が、こんな機会を得る事はこの先二度とないかもしれない。それだったら、僕が片手袋にどんな思いを込めているのか、一人でも多くの人に分かりやすく伝えたい。でも表現として「直接的なテーマの説明」をしてしまってはスマートではない気もする。

アートインコンテナに入選した直後、僕は「アートという事に捉われず、八年間続けてきた活動を分かりやすく伝えよう」と考えた。しかし約五カ月間作業を続けていくうちに、ふと気が付くとアートという曖昧模糊とした、それでいて強力な見えない磁場に引きずり込まれている自分がいる。

作品のテーマをどのくらいまで明確に提示するのか?

大きな作業がやっと一通り終了した今、最後の最後の些細な、それでいて大きな決断を迫られている。

…とここまで読むと、何だか「人間の闇の深遠さに迫る作品」みたいな重たい印象を受けるかもしれませんが、いや、全然どなたでも楽しんで頂ける作品になると思いますよ!

ただ、ちょっとした工夫で、より沢山の人に色々な側面から作品を見て頂けるのでは?という所で悩んでいるのです。

いずれにせよ、楽しみにしていてください!(←自分にプレッシャーを掛けてみる)

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