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2013年7月

2013年7月29日 (月)

『片手袋と僕との間にある強力な力』

本日は片手袋に限らず「一つの事に集中する事によって見えてくる不思議な世界」について。

僕が片手袋を撮り始めた八年前。同時にmixiでコミュニティを立ち上げて、参加者に写真の投稿を呼び掛けた。嬉しい事に趣旨を的確に受け取って下さった方々が、続々と片手袋の写真を投稿してくれた。

僕もまちを歩くたびに目を皿のようにして片手袋を探す日々。僕自身の発見、そして投稿して下さる方々の発見により、当初想定したよりも遙かに片手袋の世界が広く深い事が判明していった。

僕はどんどん片手袋探しにのめり込んでいき、片手袋を見付けだす眼力は研ぎ澄まされていった。ちょっとオカルトチックな話になってくるが、そこまで集中力が高まってくると、「なんか、あそこの角を曲がったら片手袋が落ちてるような気がする」という不思議な感覚が襲ってきて、実際落ちている、という事が何回もあった。

まあ、これは“実際会った時の記憶だけを都合よく残している”という事だと思うのだが、それにしても一つの事を極めていくと不思議な世界を垣間見てしまう瞬間があるものだ。

例えばこれ。

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釣りをしていて「きたきた~!」と巻き上げたら片手袋。

例えばこれ。

06218

家の前に停めてある自転車のかごに片手袋。しかもうちの家族の物ではないという…。

こんな事が続くと、僕が片手袋を探しているのか、片手袋が僕を追い掛けているのか分からなくなってくる。そして思い込みはどんどん加速していく。「僕と片手袋は何か強力な力で結ばれているのだ!」。

片手袋生活も八年になってくると、流石に初期の頃に感じていたそんな強烈な思いも落ち着きを見せている。最近はむしろ冷静に片手袋を取り巻く現象を分析、整理しようという態度になってきているし、それがこの毎週月曜日の研究発表に結実していると思う。

しかし最近、再び片手袋との強力な力を意識せずにはいられない物凄い事件が起きたのです!

それは、奥さんが押入れの奥から引っ張り出してきた古い写真を見ている時に起きました。

奥さんが親戚のお兄さんに抱っこされているだけの何の変哲もない写真。

Img_3420

ん?ちょっと待て。

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…おい。おい、まさか!

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片手袋が映ってるじゃねーか!

僕と出会う遥か前の奥さんの写真に映り込んでいる片手袋…。

大昔の人は全く関係のない無数の星々から“てんびん”やら“やぎ”やら“へび使い”やらを見出し、そこに物語を重ねた。それは思い込みであっただろうが、思いこんでしまう人間の心の動きには何かしらの必然性があった筈なのだ。

だから僕も再び言おう。「僕と片手袋は何か強力な力で結ばれているのだ!」。

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2013年7月25日 (木)

『FIELD OF VIEW』

Img_3234自転車乗ってたら突然の雨。

大急ぎで家に向かうと突然の片手袋。

突然ブレーキをかけて、突然iphoneをポケットから取り出す。

突然シャッターを切り、突然走りだす。

以上。突然の終わり。

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2013年7月24日 (水)

『神戸ビエンナーレへの道~その13~』

う~ん…。一つ困ってる事が。

ブログやmixiで、長い事片手袋について書いたり写真を紹介したりしてるとは言え、所詮は個人的な活動。自分がやってる事について客観的に考えてみたりする機会が今までありませんでした。

しかし、今回神戸ビエンナーレに入選して、色んな方にDMなんかを渡してるんですね。つまり、僕の活動が初めて拡がりを持ち始めた訳です。

すると当然、神戸ビエンナーレについて説明する前に、片手袋を撮り続けてきた事を説明しなくてはならない訳です。

すると、決して少なくない数の人がこんな写真を見て、

Img_2505

「あ、あなたが拾った片手袋を面白い場所に置いて写真を撮ってるのね!」と受け取ってしまうんです。

これは予想してませんでした。僕は片手袋を撮り始めた最初の頃から、何となく「見付けた片手袋に触れたり細工したりするのはやめよう」と決めたし、それは正しかったと思うんです。

そのスタイルで長年やってきたもので、まさか他人が“片手袋を見付ける→拾ってどこかに置く→写真を撮る”という風に捉えてしまうとは考えもしなかったんです。

まあ、片手袋がこんなに沢山落ちてる、という事や、これだけ変な場所にある、という事が信じられないぐらいインパクトがある、という事なんでしょうが。

でも、今回の出品作、『まちに咲く五本指』はそういう風に捉えられてしまうと僕が伝えたい事と違ってきてしまうので…。

作品は出来ればそれ単体で成立するのが望ましいんでしょうけど、僕がやってきた片手袋という活動がどういうものなのか?を鑑賞者に上手く分かってもらう方法を模索中です。

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2013年7月23日 (火)

『置かれる人』

Img_3381駐車してあるバイクの上に置かれた片手袋。

恐らく片手袋を拾った人が、何となくそばに停めてあったバイクに置いたのでしょう。

でもこれ、この間実際に自分のバイクの上に片手袋が置かれていた知り合いに聞いたんですけど、非常に困るそうです。

なんとなく捨てにくいし、かと言って自分のじゃない訳だし。仕方ないからずっとそのままにしてあるとか…。

片手袋に関係する人は、“落とした人”“拾った人”“撮る人(これはまあ僕の事で非常に特殊ですが)”の三パターンだと思ってたんですけど、“置かれる人”というのも加える事が出来そうです。

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2013年7月18日 (木)

『愛燦々』

Img_3394神戸ビエンナーレの準備に追われ、なかなかブログを更新できない日々です。

でも、こんな暑さでも相変わらず結構出会ってます。

そもそも、僕が八年前に片手袋の活動をmixi上で公に開始したのも、真夏でした。

その時は八年後、自分がずっと片手袋を撮り続けてるとも、その写真を大きな舞台で発表できるとも、全く想像していなかったな~。

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2013年7月16日 (火)

『よろしく!』

例えばこれとか、

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パッと見では一組の手袋が置かれてるように見えますが、実は違う柄の片手袋が二つなんですよね。

こういうトラップもあるんで、皆さん、注意が必要ですよ!

その点、今日出会ったこれは、

Img_3393

間違える事はないから、我々に優しい片手袋ですよね!

…一度でもこのブログを読んだ事がある人は、“我々”に含めてますんで。よろしく!

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2013年7月11日 (木)

『♪明後日の事分かるかい?』

Img_3246早朝に通り掛かった交差点。

車も人もいない。

いるのは片手袋ばかり。

そんな東京の朝。

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2013年7月10日 (水)

『神戸ビエンナーレへの道~その12~』

本日から神戸ビエンナーレの前売りチケットが発売になったようです。

http://kobe-biennale.jp/2013/07/09140000.html

僕が参加する「アートインコンテナ」以外のコンペティションも続々と入選作が決定し、開催に向けて様々な方が喜びと、その先にある実現に向けた苦労を味わっている最中であろうと想像しています。

僕も仕事をしながら日々、色々な作業に奔走しております。しかも家族や沢山の方々まで巻き込んでるんですから、肩にのしかかる責任は重大であります。

また東京は最近、暑さが物凄くて…。気を抜くと倒れてしまいそうですよ。

作品のネタバレにならない程度に、最近一番大変な作業の写真をお見せすると…

Img_3354

まあ、なんの画像かよく分からないと思いますが、大変なんですよ。

あ、それと先日日本橋を歩いていて、たまたまとあるビルに入ったんです。

そのビルの一階に、日本全国各都道府県の観光案内やイベントのチラシを集めたコーナーがありまして。

やはり気になって神戸の棚を見てみたら…

Img_3331

やはり、ありました!神戸から遠く離れた東京でもこんな情報が目に入ってくるようになりました。開催はもうすぐそこに迫っている事を自覚したいと思います。

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2013年7月 9日 (火)

『四万六千日』

Img_3343浅草のほおずき市に向かう途中に出会いました。

四万六千日、お暑い盛りでございます。

それでも今日も、片手袋は健在です。

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2013年7月 8日 (月)

『片手袋が残りやすい場所』

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(2013/1/15撮影)

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(2013/3/15撮影)

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(2013/1/12撮影)

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(2013/4/2撮影)

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今日はいきなり二組の写真から始めてみた。

一組目の写真は全く同じ場所で撮った写真だが、撮影期間に二ヶ月ほどのタイムラグがある。

二組目も同じ場所での写真で、こちらは三ヶ月。

全く同じ片手袋が、同じ場所に何カ月もある。しかもそれぞれ目立たない場所ではなくて、大通り沿いにあった片手袋だ。

これまで、月曜日の片手袋研究で、片手袋を見掛ける事が多い場所について考察を重ねてきた。それはつまり、放置型なら“片手袋を落としやすい場所”、介入型なら“拾った人が片手袋を置きやすい場所”、という事である。

確かに片手袋が発生しやすい場所というのはある。しかし、冒頭に掲げた二組の写真を見ると、僕はもう一つの概念を忘れていた事に気付いたのだ。

それは言うなれば、“片手袋が残りやすい場所”という事だ。

つまり、片手袋がどういう訳か捨てられたり、風で飛んでいってしまったりせず、同じ場所に留まり続けてしまう場所。長い期間同じ場所にあるという事は、人目にもつきやすいという事で、したがって僕のような観察者が写真を撮るチャンスも増えるという事。

落ちている頻度はそれ程高くないのに、たまたま発生した片手袋がずっと残っていた為に僕が写真を撮る事が出来た場所を、今まで“片手袋が発生しやすい場所”として誤認していた可能性もある。

これは今までの研究を根本から考え直さなくてはいけない事態だが、残念ながら“片手袋が残りやすい場所”についての考察はまだ全然進んでいない。

分かっているのは、①放置型よりは介入型で多く見受けられる事②時間と共に片手袋自体に何とも言えない凄みが出てきて近寄りがたいオーラを放っている事、などである。

冒頭二組目の緑の革手袋など、実は今でも同じ場所にあるのだ。つまり半年間存在し続けている事になる。上の写真でも若干分かると思うが、段々革が剥がれてきて、何とも言えない凄みが出てきている。

いずれにせよ、このブログで考察を進めるうちに新たに気付いた“片手袋が残りやすい場所”という概念。引き続き観察していく事にする。

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2013年7月 6日 (土)

『ニヤッ』

Img_3290この片手袋を撮ってる時、横を通りかかったおじさんが僕を見て「ニヤッ」と笑いました。

「何を撮ってんだか」の笑いだったのか、「コイツ、片手袋の撮り方がまだまだ甘いな」の笑いだったのか。

もし後者だとすると、僕なんか足元にも及ばない片手袋マスターの可能性がありますが…。

ま、前者ですわな。

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2013年7月 4日 (木)

『流行』

一昨年くらいでしょうか?ゴム手袋は黒とオレンジのカラーリング、
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軍手は黒と紫のカラーリング、
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これが大流行しましたよね?(空気を読まない疑問形)

最近は流行も少し落ち着いたようですが、久しぶりに出会いました。
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落とし主が流行に鈍感な人だったのか、流行がひと回りしてまたやってきたのか?

もう少し状況を冷静に見ていかないと何とも言えませんね。まあ、殆ど全ての人は別に何かを言って欲しくないとは思いますが。

…分かってるよ!

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2013年7月 3日 (水)

『神戸ビエンナーレへの道~その11~』

10/1の神戸ビエンナーレ開催まで三カ月を切ってます。

仕事をしながらの作品制作。入選の知らせを受け取った時から覚悟はしておりましたが、正直かなりタイトなスケジュールとなってまいりました。

これまでの約三カ月、作品に必要な資材や、協力してくれる会社や個人様をひたすら探しておりました。おかげさまで、こちらは八割程の達成度となっております。

これからは実際の細かい作業に入っていきますが、こちらもかなり大変そう…。

でも明確な作品のビジョンは描けてます。あとはひたすらそのビジョンに近づける事が出来るよう、限界まで頑張ります。

という訳で、最近はお世話になってるニホンプリントさんにお邪魔して、作業を進めたりしております。

あまり具体的な作業内容を書くと作品のネタバレになってしまいますが、この日は作業終了後、ペンが持てなくて字も書けないくらい握力を使いました…。

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2013年7月 1日 (月)

『片手袋と人間の業の肯定』

“片手袋を研究してきた中で見えてきた、気付いた世界とは?”

僕の性格上、そのようなテーマを正面切って真面目に語る事は得意ではないし、神戸ビエンナーレに出品する作品でその事は表現しようと思っている。

しかし、今回はとある一つの概念を取り上げる事で、片手袋を考えるヒントのようなものを提示してみようと思う。

“落語とは人間の業の肯定である”

これは故・立川談志が残したあまりに有名な落語哲学である。この言葉がどういう意味を持つのかは、ファン一人一人に考えがあるだろう。それに談志の落語哲学自体、二十代で定義したこの概念から微妙に変化していくので、この言葉が全てではないのだが、僕は大体以下のように把握している。

“人間というのは、食いたきゃ食っちゃう、寝たきゃ寝ちゃう。面倒臭けりゃ働きたくないし、親孝行なんて面倒臭い。そういう人間のどうしようもない業を、否定するんじゃなく肯定してあげるのが落語なんだ”

“例えば赤穂浪士。討ち入りをした勇ましい四十七士を描くのが歌舞伎や講談で、テーマは業の克服。恐いからと逃げてしまったその他の藩士を描く落語のテーマは、業の肯定”

二十代でこのように完成された落語観を提示した談志家元の天才性にあらためて驚愕すると共に、僕も落語を好きになっていく過程でこの考え方は非常に大きな支えになった。

この考えと呼応するような面白い存在は、落語だけでなくまちにもある。

Img_3301 Img_3302

これは超大型スーパーでよく見掛ける、“勢いで買い物かごに入れちゃったものの、よく考えたらいらない事に気付いたor似たような他の商品が欲しくなってしまったものの、元の場所に返しに行くのは面倒臭くて適当な棚に戻されちゃった商品”の画像である。左はカバン売り場のマヨネーズ、右は別の種類の棚で気まずそうな白ワイン、の画像である。

このような行為は決して褒められたものではないが、「面倒臭くなっちゃったんだな~」という共感と妙な可笑し味がある点において談志落語的である、と言える。

しかし、昔から一つの疑問が。それは、何と言うか、「果たして人間の業とはそっちの方向だけしかないのだろうか?」という事。

確かに、面倒臭かったり誰も見たなかったりすると、すぐ利己的な行動に流されていってしまうのが人間だ。しかし、面倒臭いのに、誰も見てないのに利他的な行動をとってしまうのもまた人間ではないだろうか?

そうでなければ、線路に落下した人を危険も顧みず助けにいったり、襲われる子供達を助ける為に立ちはだかったりする事があるだろうか?

僕は綺麗事が書きたい訳ではなく、そういった利他的行動も“業”と捉えられないだろうか?という事が書きたいのである。

しかし流石は我らが談志家元。どの著作かは失念したが、その事にちゃんと触れており、そちらも人間の業であると認めていた。では何故自分の表現に取り入れないかというと、確か「そっちの業はつまらねーんだ」の一言であったと思う。

確かにキラキラした目で「人間はね、元来美しい心を持っているのだよ、キミ!」などと大上段から説教されても、笑いには程遠い空気を作り出してしまうだろう。

し・か・し!僕は“利他的な人間の業”を堅苦しくなく、笑いを交えて、しかし確実に感じる事の出来る表現を見付けてしまったのである!

それが何かはこれ以上書きませんが、まあこんなブログをやってるくらいですからね。それに、この事こそが神戸ビエンナーレの僕の作品のテーマである、と小さい文字で書いてみたり。

以上が、僕が片手袋の研究を続けてきて得た、一つの大きな柱となる考えである。

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勿論、釣りをしてたら何故か針に引っ掛かってきたりする、“人間の利他性”とか全く関係ない、下らな過ぎる存在としての片手袋の魅力も超大事ですけどね!

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