2017年3月23日 (木)

『表に出たら二秒で片手袋』

映画が好きなので、日比谷や有楽町によく行きます。

地下鉄を降りて地上に出る時、日比谷みたいな大きな駅は幾つも出口がありますよね。雨が降っている時などは目的地に出来るだけ近い出口を選びたいですが、晴れてればまあ別にどこでも良い訳です。

でもね。なんかこう、ビビッと直感が働くんです。

先日、いつもは使わない出口から地上に出たところ、

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はい、目の前に片手袋!こういう事がね、少なくないんですわ。さすがに「持ってるな、俺」と思ってしまいますよ。

…もうちょっと大きな事で持っている人間になりたかった、というのが本音ではあります。

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2017年3月22日 (水)

『平行・垂直』

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地面に近いけど、おそらく放置型でなく介入型。

煉瓦ブロックに対して垂直でなく平行に置いてあげたことで、何だか一直線に伸びていく前向きさが感じられます。

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過去の画像を見返してみると、ブロックに対して平行に置いてあげる例の方が圧倒的に多いですね。

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目立たせる、という意味では垂直に置いた方が良いような気もしますが。やはり人間は自然と納まりが良い方を選んでしまうのでしょうか?

片手袋自体細かすぎる着眼点かもしれませんが、「平行か垂直か」というさらに細かい所にも注目すると面白いのです。

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2017年3月20日 (月)

『3m下にある片手袋』

今日、とある駅の前で待ち合わせをしていた。相手が来るまでボーっとしていたのだが、駅前の景色を眺めていて何かオーラを感じた。

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このような感じ。地面から底上げされて建てられた駅舎と外の道路にある隙間。

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※反対から見た感じ

放り投げられたたばこの吸い殻や空き缶、ビニール傘が散乱している雑多な風景。しかし僕は直感した。

「この散乱したゴミの中に片手袋がある筈!」

駅から出て鞄から出した手袋を歩きながら装着…の最中に誤って下に落としてしまった人が絶対にいる筈だ。待ち人はまだ来ないので、下を覗き込んでみる。

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「あ!」

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「やっぱりあった!」

ファー付きの高そうな片手袋。直感は正しかった。横に移動しながら、なおも観察を続ける。

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画像では分かり辛いが、二つも片手袋が落ちている。しかも、どれもファッション類。これは捨てられたのではなく、やはり誰かが誤って落としてしまったのだろう。

当然下に降りていって撮影する事も考えたが、

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立ち入り禁止のフェンスが設けられ、それは出来なかった。しかし片手袋がある、という直感が正しく働いた事に気を良くした僕は、待ち人が既に到着している事にすら気付かないのであった。

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2017年3月18日 (土)

『移調』

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背景にまだ散る前の鮮やかな銀杏。

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銀杏が散り始めた頃。銀杏の絨毯のようでこれはこれで綺麗。

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散ってから暫くすると雨などでぐちゃぐちゃになり汚くなってしまう。

片手袋の写真フォルダを見返していたら、銀杏ってちょうど冬型の片手袋の移り変わりと併走している植物なんだな、と思いました。

こちらは番外編。

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一年中散る事のない銀杏と片手袋です。

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2017年3月16日 (木)

『片手袋、そして終わりのない考察』

ここのところ、日々出会ってる片手袋の報告みたいなのを敢えて避け、片手袋に関連する考察や問題的等を多めに書いてました。

というのも、もうすぐ冬の片手袋シーズンは終わりますが、当然それ以外の季節も片手袋研究は続くのです。それは軍手やゴム手袋なんかは季節問わず落ちている、という事もありますし、片手袋を深く深く掘り下げて考えるのに季節なんか関係ないからです。

春の到来に備えて(もう春なのかな?)それを確認しておきたく、最近は映画や片手袋に関する根本的な疑問について書いていました。

とはいえ、日々出会ってます。

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これは築地の場内と場外を繋ぐ海幸橋で出会った“ファッション類介入型フェンス系片手袋”です。しかし翌週、

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はい、増殖してました。こういう風に、一つ片手袋が発生すると他の片手袋を誘発してしまう事がありますね。特に介入型は。

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で、こういう現象は冬にしか見られないかもしれないが、こういう現象がなぜ起きるのか考える事はいつだって出来る、という事が本日言いたかったのです。

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2017年3月15日 (水)

『お嬢さん』と『アナ雪』を繋ぐ手袋演出

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韓国映画、『お嬢さん』を見てきました。

TBSラジオのたまむすびという番組で、映画評論家の町山智浩さんが薦めてたので気になっていたのですが、いや~、あらゆる意味で物凄い映画でした。

TOHOシネマズのサイトよりストーリーを転載しますと…

舞台は1939年の朝鮮半島。支配的な叔父と、膨大な蔵書に囲まれた豪邸から一歩も出ずに暮らす華族令嬢・秀子(キム・ミニ)のもとへ、新しいメイドの珠子こと孤児の少女スッキ(キム・テリ)がやってくる。実は詐欺師一味に育てられたスッキは、秀子の莫大な財産を狙う“伯爵”(ハ・ジョンウ)の手先だった。伯爵はスッキの力を借りて秀子を誘惑し、日本で結婚した後、彼女を精神病院に入れて財産を奪う計画だ。だがスッキは美しく孤独な秀子に惹かれ、秀子も献身的なスッキに心を開き、二人は身も心も愛し合うようになってしまう……。

しかし、このあらすじから想像し得る作品像の300倍くらい不思議で妖しく、笑ってしまう程エロティックな作品でした。取り敢えず世界中で日本人が一番気まずい気持ちになる映画、とだけ申し上げておきます。まさか映画館で“あの単語(しかも日本語)”を何度も耳にする事になろうとは…。

昨年刊行され三島由紀夫賞受賞会見が話題になった、蓮實重彦の『侯爵夫人』との奇妙な符合など語りたい事は山ほどありますが、それより何より手袋ですよ!

実は先程のラジオ番組で町山さんは「アナ雪みたいな展開になっていくんです」と言っていたのですが、それが全然冗談じゃなかったのです!

勿論、描き方こそ100億光年くらいかけ離れた両作なのですが、根底にあるテーマは確かに重なるのです。何しろ、劇中で手袋が果たす役割が物凄く似てるんですよ。

映画が始まって割とすぐ、お嬢さんの部屋にある箪笥が手袋でびっしりと埋め尽くされているのが映るんです。それを見て片手袋研究家としては、「あれ?」と反応したのですが…。結局映画の最後まで手袋は重要な意味を持たされていました。まあアナ雪とは違って、『お嬢さん』は片手袋というより手袋なんですけどね。

つまり『アナと雪の女王』も『お嬢さん』も、手袋は抑圧された「女性性」や「他者に本心を悟られないようにする為の心の壁」みたいなものの象徴なんですよね。(詳しくは以前、アナ雪の手袋について解説した記事をご覧下さい)

それを踏まえて、映画鑑賞後にこの映画のポスターを手袋に注目して見てみると、色々な意味が隠されていた事に気付きます。

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映画において衣装が登場人物の心情などを象徴している、というのは珍しくないのですが、その中でも手袋は性的な意味を持たされる事が多いように思います(古くは『ギルダ』や『ローズマリーの赤ちゃん』、最近では『キャロル』なんかを手袋に注目して見て下さい)。

それが何故なのか?という事を調べる事は、実は片手袋研究においても非常に重要である、と最近気づきまして。その理由に関してはまた別の機会に書いてみますが、とにかく片手袋研究はまた一つ大きな課題に直面してしまいました。つまり「やはり片手袋を知るには、手袋そのものについての研究もしなければいけない」という大き過ぎる課題に…。

話は逸れましたが『お嬢さん』、とても面白かったです。R18作品である事からそれ相応の覚悟を必要とするのは察して頂けると思いますが、もしご覧になる方は手袋に注目してみて下さい!

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2017年3月13日 (月)

『戻り片手袋』

季節ってある日突然変わってしまう訳ではなく、徐々に徐々に変化していくものですよね。今は冬でもなく春でもない。そんな日々が続いています。

むしろ日毎というより一日の中で季節が変わっていく感じで、朝晩はまだまだ寒いですが、日中は上着を投げ捨てたくなる位暖かい時もあります。そのせいか、最近は夜に片手袋と遭遇することが多いです。

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先日出会ったこの凄く厚手の暖かそうな片手袋。魚で言えば餌を沢山食べて脂がたっぷりのった戻り鰹のようなものです。

片手袋を魚で例える意味があるのかどうか、私にも分かりません。

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2017年3月11日 (土)

『六年』

あれから六年。毎年この日は、震災直後に書いた記事を再掲載しています。

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これは僕が“介入型”と呼んでいるタイプの片手袋です。

落ちている片手袋に気付き、見つかりやすい場所に移動してあげた誰かが存在する。

そうして生まれるのがこの“介入型”の片手袋なのです。

我々には有事ではなく普段から、このようなちょっとした、でもとても重要な心の優しさが備わっています。そう信じています。

ましてや過去最大級の有事が起きている今この時。

批判や言い争いや怒りはひとまず置いておいて、正確な情報や落ち着いた行動に基づく優しさを発揮しましょう。

僕自信、自分に出来る事は何か、冷静に考えてみます。

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六年が過ぎました。果たしてもうあの震災に対して何か区切りはついたのでしょうか?

例えば今日。まさにこの「3.11」という日をどういう風に迎えるべきかで、様々な意見が対立しているのを見掛けました。

「この日だけはあの惨劇をもう一度思い出そう」
「3.11だけ思い出すのではなく、毎日の暮らしの中で考えていかなければ」
「被災地の人間からすれば、毎年毎年津波の映像とか流して欲しくない」
「いつも通りにしてれば良いんだよ」

あれ以来、決して埋まる事のない溝や対立をあまりにも見慣れてしまいました。

僕個人は、こうして六年前に書いた記事を毎年再掲する事で、あの日感じた恐怖や大切な人を守らなければ、という純粋な気持ちを思い出すようにしています。

震災以降に発生したあらゆる対立や問題は解決するどころか、日常の中にのっぺりと浸透して定着してしまったようにも感じられる昨今。しかし、3.11で亡くなった方やご遺族の事を思う時に湧きあがってくる感情くらいは、皆で共有出来るものではないでしょうか?

そういう意味では、この3.11という日はこれから何年経っても、やはり重要な日なのだと思います。

東日本大震災でお亡くなりになった方々やご遺族に心よりお悔やみ申し上げます。

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2017年3月10日 (金)

『ここで逢いましょう、築地で』

築地、どうなっちゃうんですかね?

十五年以上も通ってるので、そりゃあ、あの場所に対する思いは特別なものがあります。片手袋の聖地だという事は抜きにしても、大好きな場所です。

移転が決まってから(このような事態を想定していなかったので)、片手袋だけでなく築地の何てことない風景も撮るようにしてました。場内、場外問わずです。

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そしてどんな時でも当然のように僕を出迎えてくれる、築地の片手袋。

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先は全然読めないけど、築地の片手袋と築地の日常風景。この二つはこれからも許される限り記録し続けていきます。

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2017年3月 9日 (木)

『境界線上のありゃあ?』

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今日、駐輪場に「手から手首辺りを覆う何か」が片方介入されてました。これは何に使うものなのでしょうか?手袋と言って良いものなのでしょうか?

そう言えば昔、

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東京ドームホテルの地下駐車場に、タイガースのリストバンドが落ちていました。これを見た時、「リストバンドは手袋ではないよな。でも手首と手の境界ってどこからなんだろう?肘辺りまで覆う日焼け防止の手袋があるけど、あれは手袋だもんな」と不思議に思いました。

まあ、リストバンドを手袋に入れるのは無理があるとしても、

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11年の片手袋研究生活で二回だけであった、「手袋の指だけ」は果たして手袋なのでしょうか?片手袋ではないにせよ、「十分の一手袋」と言えるのでしょうか?

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あと、グローブが介入されているのも見た事があります。これは限りなく手袋に近いブルーですよね?「手を保護する為に覆う革製の袋状の物体」ですよ?それはもう手袋でしょう?でも問題は、グローブは片方だけで使うものだという事。だとすると片手袋の分類上では「実用系」に入るんでしょうか?

数日前、「揃いと片方を区別するのは案外難しい」という事を書きましたが、それどころか「手袋とは何か?」を定義すること自体難しいなんて!

でもどんなジャンルもそうですけど、面白さって境界線上にこそ詰まってる気がします。分かっているつもりになっている事すら揺るがしてくる境界線上の存在。大事にしていきたいです。

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