2017年10月13日 (金)

トークイベント『絵本と片手袋の不思議な関係』開催!

僕は町で実際に出会う片手袋だけでなく、あらゆる創作物に登場する片手袋も記録している事は度々お伝えしています。

映画や文学や漫画など過去に片手袋が登場した作品は多々ありますが、不思議と絵本も多いんですよね。まあそもそも僕が片手袋に惹かれるきっかけとなったのが、ウクライナ民話の絵本『てぶくろ』でしたし。

「何故片手袋は絵本作家を惹きつけるのか?」という事に関して色々と仮説は立てておりますが、それはあくまで僕の想像。しかし今回、直接絵本作家さんに僕の疑問をぶつけるチャンスが到来したのです!

なんと11月に偕成社さんから、女の子が片手袋を落とすところから物語が始まる『ふたつでひとつ』という絵本が出版されるのです。(作品詳細はこちら

そして色々な縁があって、作者のかじりみな子さんをお招きしてトークイベントを開催出来ることになりました!

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当日はまず僕が片手袋と片手袋が登場する創作物の説明をして、その後かじりさんに『ふたつでひとつ』を朗読して頂いたり様々なお話を伺ったりする予定です。

日時は11/12(日)の19:00から、会場は昨年片手袋写真展とトークイベントをやらせて頂いた谷中の「ひるねこBOOKS」さんです。料金は500円、定員は10名と少なめなので、興味ある方はお早目の予約をお願いいたします。

イベントや予約の詳細は、以下のひるねこBOOKSさんのページよりご覧ください。お待ちしております!

http://hirunekodou.seesaa.net/article/454145355.html?1507888467

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2017年10月12日 (木)

『事実は小説よりも…』

一か月くらい前でしたかね?友人の奥様から信じられない片手袋写真が送られてきました。それがこちら。

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分かりますか?

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これですよ。あのね、さすがに僕も見た事のない片手袋でしたよ。何がどうなったらこんな事になるのか?もう気になって気になって、その日のうちに現場へ直行しました。

ところが…。

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既になくなってました。友人の奥様が撮ってから数時間しか経過していなかったのに。でもあの片手袋があった場所は分かりました。

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この何かの計器に被されていたんですね。で、この計器は新品に見えました。つまり取り付け工事が終わった後に養生する必要があって被せていたのでしょう。

結論としては、「実用系片手袋だった」という事です。

それにしても、まだまだ未知の片手袋が存在してるんですね。気を引き締めなおしました。

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2017年10月 9日 (月)

『秋の葉山~マックス・クリンガーと片手袋の旅~』

今日は神奈川県近代美術館葉山に行ってきました。なんと今、「マックス・クリンガー版画展」を開催しているのですよ!

世の中には片手袋をモチーフにした作品が沢山ある事は何度も書いてますが、マックス・クリンガーの『手袋』という連作版画はその中でも(現在僕が確認出来た物の中では)最古の作品です。なんと1881年ですからね。

『手袋』は全10葉からなる作品ですが、僕が実物を見た事があるのは2葉目の『行為』だけでした。三年前の事です。

古い美術雑誌などを取り寄せて確認はしていたのですが、ようやく全作品実物を見られる機会がやってきたのです!葉山に向かう京急の車内で僕の胸は既に高鳴っておりました。

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ここにやってくるのは本当に久しぶりで、前回はヤン・シュヴァンクマイエル展の時でした。

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そして、いよいよですよ。緊張しながら展示室に足を踏み入れました。

ここで少し解説を。マックス・クリンガーは19世紀から20世紀の転換期に活躍したドイツの版画家です(画家・彫刻家でもあります)。シュルレアリスムを予感させるような幻想的な作品を多く残しています。

『手袋』は1881年の作品で、クリンガー自身と思われる男性が夫人の片手袋を拾い上げた事から展開する幻想的な全10葉の版画集です。

…というのがWEBや展覧会のチラシによく書かれているような解説なのですが、今回実物をじっくり何度も見た結果、「幻想的というよりはよく見るような片手袋だよな」という感想を持ちました。ちょっと具体的に書きます。

第一葉『場所』

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物語のはじまり。左から二番目がクリンガー。椅子に腰かけてこちらを向いているのが後に片手袋を落とす婦人。

第二葉『行為』

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ここで夫人が落とした片手袋を拾い上げるクリンガーが描写されますが、普段片手袋を撮っている僕とそっくり!

第三葉『願望』

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恐らく片手袋の持ち主である婦人への思いを募らせるクリンガーの図。僕、日々片手袋のことを考えてこんな感じですから。

第四葉『救助』

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ここから物語は飛躍していくのですが、荒波に浮かぶ片手袋を船に乗った男が銛で救おうとしています。船と片手袋を捉えた写真や、かつて釣りをしている時に片手袋を釣り上げてしまった事を思い出します。

第五葉『凱旋』

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片手袋が馬車を操っているように見える図。でもこれ、バイクのサドルに置かれた片手袋や、築地のターレーのハンドルに忘れられた片手袋を見るとき、まるで片手袋が運転手のように見える事ってあるんですよ。

第六葉『敬意』

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打ち寄せる波こそバラか何かですけど、画面左端の片手袋自体は良く見かける「放置型海辺系片手袋」ですよ。

第七葉『不安』

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寝てる時も片手袋にうなされる。僕の日常ですが、なにか?

第八葉『休息』

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手袋に囲まれる片手袋。落とし物スペース系の片手袋や、両手袋のそばにある片手袋を思い出します。「休息」というより「孤独」を感じますけどね。

第九葉『誘拐』

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得体のしれない鳥が片手袋を奪い去りますが、ずいぶん前に友人が送ってくれた写真をご覧ください。

第十葉『アモール』

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天使か妖精と片手袋なんですが、ディズニー映画『ティンカーベル』では妖精たちが片手袋を活用してましたっけ。

以上のようにほぼ全ての作品に、今まで出会った片手袋から思い当たる例が浮かんできたんですよね。

マックス・クリンガーが実際に片手袋を目撃してこの作品の構想が出来上がったのは間違いないと思います。しかし全十葉、それぞれのパターンの片手袋に出会ったはずもなく、やはり想像を広げて制作していったのだと思います。

それでも現実社会に似たような現象が見られるという事から得られるのは、「人間が想像し得ることは、現実に起こり得る」という結論で、クリンガーの作品を語る際に必ず出てくる「幻想的」というキーワードからはやや外れる感想となりました。

今回初めて『手袋』以外のクリンガー作品にも触れてみて思ったのは、幻想という突飛な空想世界を描いた作家というよりは、モチーフとして神話などを用いつつも人間が心の奥底で抱えている不安や暴力性と向き合った作家なのではないか?という事でした。

やはり実物を見られて本当に良かったです。

その後、葉山周辺の海岸を幾つか回り片手袋を探してみました。

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それほど多くはありませんでしたが、第五葉『凱旋』 のような片手袋に幾つか出会えました。

最後にたまたま訪れた海岸は、夕日が綺麗な事で有名だったらしく、大勢の人が写真を撮りに来てました。

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その中で僕だけは子供用の軽作業類片手袋を撮るのに夢中でしたけどね。

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今回「葉山女子旅きっぷ」というのを利用してブラブラしたのですが、これが異常にお得でした。

「品川・新逗子間往復運賃+逗子周辺のバス運賃+提携レストランでの食事(選択制)+提携店舗でお土産(選択制)」、これでなんと3,000円ですからね。

マックス・クリンガー展は11/5(日)までやってますし、皆様にもこの切符を利用した「秋の葉山片手袋旅」をお勧めします!

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2017年10月 3日 (火)

『新連載開始!』

片手袋ツアーやトークイベントでお世話になってる東京別視点ガイドさんで、『この世界の片...手袋に』という連載をさせて頂く事になりました。

http://www.another-tokyo.com/archives/50554367.html

これまで片手袋にまつわる色んな話を色んな場でしてきましたし、このブログも長年書き続けていますが、それでもまだ語っていないような事があるんです。

そんな話を中心に書いていこうと思います。

第一回は片手袋研究の面白さでなく、敢えて辛さやしんどさから書いてみました。片手袋だけじゃないかもしれないけど、分かれば分かるほど分からなくなっていく、という感覚を具体例と共に綴ってます。

是非読んで下さい!

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2017年9月27日 (水)

『風が冷たくなってきた~片手袋冬の旬の判断の仕方~』

何度も何度も口を酸っぱくして言っておりますが、片手袋は冬だけに見られる現象ではありません。真夏だって路肩なんかにひっそりと軍手が片方落ちていたりしますからね。

しかし、冬は片手袋の種類も量も豊富になる、というのも間違いない事実であります。まあ、いわば片手袋の旬ですね。では、どのように旬に突入したと判断するのか?

毎年「ファッション類介入型片手袋」に出会ったら、冬の旬が到来したと判断しております。

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※こういうのはさすがに殆ど冬しか見かけませんからね。

ですから、その年「ファッション類介入型片手袋」に出会った最初の日は重要なのでずっと記録しております。試しに過去五年を振り返ってみると…

2012→10/26
2013→10/28
2014→11/10
2015→10/9
2016→11/1

概ね10月後半から11月前半にその日は訪れています。しかし2015年のように10月前半にいきなり出会うこともあるので気は抜けません。

2015
※ちなみに2015年のはこれです。

今日も夜になって風がひんやりとしてきました。今年はその日がいつ訪れるのでしょうか?

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2017年9月18日 (月)

『祭りの後の、いや最中の静けさ』

先週末、地元の祭りが終わった。

大雨の中での神輿渡御。火照った体に容赦なく雨が降り注ぎ、湯気が立ち上る。不思議と疲れの蓄積やテンションの低下は担ぎ手に伝播するもので、定期的に掛け声が小さくなる瞬間が訪れる。

それを打ち消すように、再び声を絞り上げる。これを繰り返すうちにトランス状態が訪れ、苦痛は快楽に変わる・・・らしい。

あれは昨年だったろうか。私は例年通り神輿を担いでいたのだが、視界の端にあれが写った。

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片手袋だ。軽作業類放置型駐車場コインパーキング系。

僕はすぐに神輿から出て撮影を開始した。満足のいく写真が取れた頃。

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神輿の列はすでに遥か彼方に行ってしまっていた。

我を忘れ神輿を担ぐうちにトランス状態が訪れ、苦痛は快楽に変わる・・・らしい。片手袋研究家には一秒たりとも我を忘れる瞬間が訪れないのだ。

いや、むしろ常に我を忘れているのかもしれない。

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2017年9月11日 (月)

100年後の世界の片手袋

バイクの様子がなんだかおかしくなり、急遽エンジンを止め押して反対車線に渡っていた。

「重い…」

思えばバイクの免許を取るとき、最初に倒れた400ccのバイクを起こす授業から始まったのだった。あれからもう20年近く経つ。たかが150ccのスクーターすら重くてしょうがない。

「ひーこらひーこらばひんばひん」状態で信号を渡りきる直前、アイツがいた。

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軽作業類介入型三角コーン系片手袋。

この時期にはなかなか見ない種類だけに胸が躍ったが、その横に倒れ込んでる三角コーンがなんだか自分みたいに思えて、複雑な気分になったよ。

自分が80歳位くらいになった時、どんなふうに片手袋を見ているんだろう?

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2017年9月 7日 (木)

映画『パターソン』と片手袋的視線~パターン+パーソン=パターソン~

ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』という映画を見てきた。

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あらすじは以下の通り。

ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に芽生える詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見変わりのない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。(公式サイトより)

本作は鑑賞後にジンワリといつまでも印象が残り続けるタイプの映画であったが、その良さを「何気ない日常の大切さを描いた秀作」とありふれた言葉で済ませられない何かがあった。その何かに片手袋研究家としての自分は大きく揺さぶられたのである。

本作の主人公は毎日毎日、同じような生活を規則正しく繰り返すバス運転手(このバス自体、同じルートを毎日ぐるぐると運行している)、パターソン。彼は人知れず自作の詩をノートに書き溜めている詩人でもあるのだが、この映画において詩、もしくは詩作をする上で重要な韻というものが非常に大きな意味を持っている。

おそらく監督はこの作品自体を一編の映像的な詩として編んだのだろう。

本作には複数の同じモチーフが繰り返し繰り返し登場する。双子、白黒、アボットとコステロ等々。しかしそれはまた、全く同じ姿形を取らず微妙に変化した状態で出てくるのだ。詩における韻が、響きは同じでありながら全く同じ単語の羅列ではないように。

思い返してみれば、この『パターソン』という作品をネットで知った時、パターソンという実在の町に住むパターソンという男の物語である事と同じくらい、主人公を演じるアダム・ドライバーがバスドライバーを演じている事が気になった。最初は偶然の一致かと思っていたのだが、鑑賞後はそれも監督の意図した事であるように思える。

この「少し違った形で何度も登場する」という手法は徹底されていて、主人公が大きな影響を受けているパターソン出身の実在の詩人、「ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ」の名前からして既に繰り返しなのだ。

さらにこの映画は言葉同士だけに留まらず、言葉と小道具・背景・現象・も複雑に韻を踏んでいく。例えば主人公がマッチについて詩を編んでいる時、主人公が歩いている後ろの壁には「FIRE」の文字が落書きされている。また、少女が主人公に詠んでくれた自作の詩は、後に部屋に飾られた絵や実際の風景と呼応してくる。詩における韻がリズムを生み出していくように、この画面に映るあらゆる要素で韻を踏んでいくこのスタイルは、退屈な日常を描いているだけに思える本作に独特のリズムを与えていく。

しかし重要なのは、今まで書いてきたような本作で起こる不思議な現象の数々は、映画的技法を超えて、片手袋研究家の僕にはとても自然に理解できるものだったのだ。

僕が片手袋研究を12年間続けてきて思うのは、「興味が湧くと見えていなかったものが見えてくる」ということ。

ラーメンに興味がない人にはラーメン屋が見えない。しかし、興味が出てくると「町にはこんなにラーメン屋があったのか!」というくらい、ラーメン屋が見えてくる。その人がラーメン屋に気づく前から、ラーメン屋はそこにあった。

片手袋の話を聞いてくれた人が後日、「片手袋ってこんなに沢山あるんですね!」と言ってきてくれる事がある。

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冒頭、恋人から双子の話を聞かされた主人公の目は、双子をとらえられるように変化したのだ。日頃片手袋と「なんでまたこんなところに!」という出会い方を繰り返している僕からしてみると、双子があれだけ頻繁に登場しても何ら不思議はなかった。つまりこの映画内で形を変えて繰り返し登場するものは、主人公の興味の対象なのである。そして恐らくそれらが彼の創作の源泉となるものなのだ。

またマッチのことを考えている時に「FIRE」と書かれた壁を通り過ぎる、といった偶然もじつはよくあることなのだ。

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これは「ホウスイ」という倉庫の前で放水をしているおじさんに出会った時の写真だ。

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これは(ひな鳥からしてみれば)自動的に餌を運んできてくれる親鳥の下に書かれた「AUTO SEIRVICE」の文字。

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片手袋だって周囲の文字と呼応しているように見えることは多々ある。

僕自身、退屈な日常にちょっとした心の変化をもたらしてくれるこういう偶然をとても大事にしている。

そしてこの映画自体、僕にそういう偶然を呼び込んでくれるスイッチだったらしい。何故だか映画を見ている最中から「こんな映画を見た今日は、絶対に片手袋と会う気がする」と強く思っていた。そして案の定、銀座の町に片手袋は落ちていた。

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また、鑑賞後電車で読んでいたサニーデイ・サービスの単行本『青春狂走曲』に、まるで『パターソン』について書かれたような曽我部恵一の文章を見つけてしまった。

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『パターソン』はありふれた日常の中にある大切な瞬間を描いているのではない。永遠と繰り返すありふれた日常そのものに、ポエジーを喚起する源は散りばめられている。

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『パターソン』は我々なのだ。

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2017年9月 1日 (金)

『片手袋研究は13年目に突入です!』

先月末に片手袋研究は12周年を迎え、13年目に突入いたしました。

傍から見れば相も変わらず同じことを続けているだけに思われるでしょうが(いや、そもそも何も思わないかもしれませんが…)、やはりその時その時で内面的にも外面的にも変化はあるもので。

同じことをずっと研究し続けていると、興味の対象は横にも縦にも広がっていくものです。「横の広がり」というのは例えば、数年前から気になっている世界中に存在する片手袋写真愛好家の事だったり、片手袋が登場する映画やアート作品を調べ上げる事だったり。「縦の広がり」というのは自分自身の内面への興味、とでも言いますか。

僕はあまり他のジャンルの方と交流を持ったりした事がなかったのですが、この一年でポッドキャスト「山車ラジオ」でソンシツ物件の殿下さんとお話しさせて頂いたり別視点ナイトで様々なジャンルの方と交流させて頂いたおかげで、他の専門家の方と共通する点も異なる点も見えてきました。

その中で今、一番感じている疑問は、「なぜ俺はこんな事をやっているのだろう?というか、俺がやってる事って何なんだろう?」というもので。なんか、12年経って振出しに戻ってしまった感がありまクリマクリスティですね…。

僕がやっているような事って「路上観察」にジャンル分けされると思うんですけど、果たして僕は「路上」を「観察」しているのか?撮りたいと思っている対象も「片手袋」という物体なのか、「片手袋が生まれる背後にある人間の行動」なのか?

さらに気になるのが、「片手袋という物体に興味を抱く」という事と「片手袋を撮りネットにアップしたり作品を制作したりする」という行為は乖離しているんじゃないか?という問題です。

ソンシツ物件の殿下さんは「ソンシツという現象の裏にある人間にはそれほど興味がない」と仰ってました。

植木鉢の木村りべかさんはご自分の活動を「路上観察ではない」と感じているそうです。

僕は片手袋研究を自分の中でどう位置付けているのか?これを最近はずっと考えています。勿論答えは出ていないし、一生出ないかもしれませんが、僕はこういう根本的な問題をうじうじといつまでも考えているのが割と好きなタチでしてね。

ただ先日、別視点ナイトでご一緒した木村りべかさんや中島由佳 さんが参加されていた展覧会「庭先PTDX」を見てきて思ったのですが、「今自分に足りないのはアウトプットだな」という事で。

ここ数年、有難いことに色んなメディアにお声をかけて頂いて片手袋研究について喋らせて頂いたりしてますが、「作品として片手袋写真を発表する」というアウトプットの仕方も久しぶりに模索したくなりました。自分の内面を掘り下げていくのもよいですが、もうちょっとゴツゴツした塊を外に向かって投げかけても良いんじゃないか?と。

それと勿論、片手袋研究を書籍としてまとめてみたい、という思いは長年持ち続けていますが、こればかりは需要がなければね…。

・片手袋の撮影
・片手袋の考察&研究
・機会があれば片手袋研究の紹介&普及

は今まで通り続けていきますが、新たな展開も考えていきたいと思います。

まあ、何がどうなるか?なんて事をきっちり決めてやってきた訳ではないので、面白そうな流れがきたら身を任せつつ、13年目も頑張っていきます!

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※最新の片手袋写真

片手袋研究家
石井公二

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2017年8月30日 (水)

『夏場の介入型』

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夏場でも片手袋は沢山落ちてますし、こういう介入型片手袋と出会うこともあるんですよね。

しかし、油断はしていないつもりですが冬場ほど目が介入型に慣れていないこともあり、自転車で通り過ぎてからだいぶ経って、

「さっきのはもしかして…」

と引き返して撮ったのでした。なんとか面目を保ちましたね。

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